「ワインレッドの心」を聴いていると、すぐそばにいるはずの二人のあいだに、どうしても触れきれないものが残っているように感じます。もっと自由に恋をすればいい、過去など忘れてしまえばいい――そんなふうに相手を誘う言葉は何度も差し出されるのに、その心は簡単にはこちらへ動いてきません。
私がいちばん気になるのは、その心がただ燃えているとは描かれないことです。消えてしまいそうでもあり、これから燃え出しそうでもある。終わりと始まりのどちらにも決まりきらないまま、深い赤だけが夜の中に残っているんですね。
だから「ワインレッドの心」は、情熱的な大人のラブソングという言葉だけでは、少し足りないような気がします。誰かを強く求めているのに、その人の心を自分のものにはできない。恋がいちばん熱くなる瞬間ではなく、燃えるかもしれないし、このまま消えるかもしれない、その手前を歌っているからです。
「もっと」と重ねるほど、二人の距離が近づかない
曲の中では、相手に向かって何度も先へ進むことを促します。もっと自由に恋をして、もっと触れ合って、今夜をもっと二人で過ごせばいい。言葉だけを見れば、とても積極的な誘いです。
けれど私は聴くたびに、その「もっと」が少し寂しく聞こえます。すでに気持ちが重なっている二人なら、これほど繰り返し相手を先へ誘う必要はないはずだからです。近づこうとしている人と、まだどこかで立ち止まっている人。そのわずかな速度の違いが、最初からずっと消えません。

しかも差し出される言葉は、自分がもっと愛すると約束する形ではなく、今よりもっと愛されるのに、という方向へ向かっています。ここが私は妙に気になります。強く惹かれていることは伝わってくるのに、自分の胸の内をまっすぐ差し出すより先に、相手へ「もっと自由になればいい」と語りかけているのです。
優しい励ましにも聞こえますし、ためらう相手をこちら側へ連れてこようとする口説き文句にも聞こえます。ただ、歌詞から二人の関係を恋人同士だと決めることはできません。すでに深い関係なのか、これから恋が始まろうとしているのかも明言されていません。
はっきりしているのは、二人の心が同じ速さでは進んでいないことです。身体の距離なら縮められそうなのに、その先にある心までは簡単に届かない。この少しのずれがあるから、近い場面を歌っているはずなのに、曲全体にはどこか届ききらない感じが残るのでしょうね。
「ワインレッドの心」は1983年11月25日に発売された安全地帯の4枚目のシングルで、作詞は井上陽水さん、作曲は玉置浩二さん。サントリー「赤玉パンチ」のCMソングとして使われ、翌1984年のアルバム『安全地帯II』にも収録されました。ユニバーサルミュージックの安全地帯40周年記念の楽曲解説では、この曲が安全地帯を広く知らしめた最初の大ヒットであり、玉置さんが翳りのあるマイナー調へ方向を変えるきっかけになった一曲とも紹介されています。
華やかなCMソングとして世に出た一方で、曲そのものには明るさだけでは片づけられない陰りがあります。その陰りの中心にいるのが、どうしても一歩を踏み出さない相手なのでしょう。
忘れかけているのに、まだ手放そうとはしていない
相手が抱えているのは、鮮明な過去ではありません。もう忘れそうになっている想い出です。私はここに、とても不思議な時間を感じます。
本当に忘れたくないなら、もっと必死に思い返してもよさそうなのに、記憶はすでに薄れかけている。それでも完全に消えてしまう前に、そっと抱えたままでいる。忘れられないのではなく、忘れそうなものをまだ自分から手放していないのです。

何の想い出なのかは書かれていません。以前の恋かもしれないし、今までの自分を守ってきた何かかもしれません。そこを決めてしまわないところに、この歌の大きな余白があります。
昔の誰かを思い続けている、とまで言うことはできない。でも、今ここにある時間へすべてを預けることもできない。その中途半端さは、人の心としてむしろ自然なものにも思えます。
忘れた方が幸せになれることは、本人もどこかで分かっているのかもしれません。それでも記憶を手放す瞬間には、そこにいた自分まで一緒に失ってしまうような怖さがありますよね。
誰かとの時間を忘れることは、その人だけを忘れることではありません。その頃の自分、信じていたこと、傷ついたこと、嬉しかったことまで、一緒に遠くなってしまう。相手が抱えているものも、単純な未練という言葉では片づけたくないなと私は思います。
だから、過去を捨ててこちらへ来ればいいという誘いは、何度届いてもすぐには現実になりません。相手を前へ連れ出したい人と、まだ過去の自分を完全には置いていけない人。同じ夜にいるのに、二人は少し違う時間を生きているように見えてきます。
悲しい言葉に酔う人と、ワインを開けようとする人
曲の途中では、悲しげな言葉に酔うことと、本当にワインを開けることが近い場所に置かれています。ここは井上陽水さんらしい言葉の面白さを感じるところです。
一人は言葉の中で自分の気持ちを抱え込み、もう一人はそんな言葉から抜け出して、目の前の夜へ戻ろうと誘う。どちらも「酔う」ことなのに、向かう先は少し違います。
悲しい言葉に浸っているあいだは、自分の中だけで完結できます。過去を思い出し、自分の気持ちを抱え、そこから動かなくてもいい。でもワインを開ければ、その夜は一人の内側から二人の時間へ移っていきます。
だからここには、単なるお酒の場面以上のものがあるように感じるんです。過去に酔い続けるのか、目の前にいる人との時間へ移るのか。その境目に、一本のワインが置かれているように見えてきます。

それでも、この夜だけで何かが解決した気配はありません。後半には、同じような夜がこれまでも続いていたのではないかと思わせる言葉があります。誘うことも、ためらうことも、心を持て余すことも、もしかすると今夜が初めてではない。
歌が始まる前から、二人はこの距離を何度も行き来してきたのかもしれません。もちろん、それを出来事として断定することはできません。ただ、今夜だけの衝動というより、ずっと動ききれない関係の中でようやく発せられた言葉のように聞こえるのです。
過去が現在の夜へ入り込んでくる感覚は、松原みきさんの「真夜中のドア〜stay with me」にもどこか通じます。「真夜中のドア」では、過ぎた季節のほうから現在へ記憶が戻ってくるように感じましたが、「ワインレッドの心」では、目の前にいる誰かが過去からこちらへ連れ戻そうとしている。その違いを思うと、この二人の距離がよりはっきり見えてきます。
透き通った瞳の奥に、深い赤が隠れている
相手の瞳には、透明さを感じさせる言葉が与えられています。ここが私はとても好きです。過去を抱え、悲しい言葉に酔い、今夜もためらっている人なのに、外から見える瞳は澄んでいる。
その一方で、心には「ワインレッド」という濃い色が置かれています。透明な瞳と、深い赤の心。この二つを並べると、外から見えているものと、その人の内側にあるものの差が急に大きくなります。

気持ちがないから動けないのではなさそうです。むしろ内側には色がある。それも、曲のタイトルになるほど強く印象に残る赤です。
それなのに、その色はまだ瞳まで現れてこない。だから相手を求める人は、その心があることを感じながらも確かめきれずにいるのでしょう。
恋の距離というと、会えないことや離れていることを思い浮かべがちです。でもこの曲の二人は、触れ合うことを想像できるほど近くにいます。身体の距離は縮まりそうなのに、心だけが見えない。
私は以前、「ワインレッド」という言葉を単純に情熱の赤だと思っていました。でも、改めて歌詞の中へ戻してみると、それだけでは少し強すぎるように感じます。
真っ赤に燃えている心なら、もう迷いは少ないはずです。この曲の赤は、外へあふれ出している色というより、まだ胸の内側に閉じ込められている色なのでしょう。
消える手前と燃える手前、その両方に心がいる
タイトルの色をいちばん印象的にしているのは、心が消えかけているようでもあり、これから燃えそうでもあることです。
消えることと燃えることは、本来なら反対の方向でしょう。片方は終わりへ向かい、もう片方はこれから強くなる。それなのに、一つの心がその両方を持っています。
そこまで来ると、「ワインレッド」は単なる大人の恋を彩る色には見えなくなってきます。忘れることと残すこと、進むことと立ち止まること、そのどちらにも決まらない心が持つ色なのではないでしょうか。

過去を手放せば、新しい感情へ進めるかもしれない。でも手放した瞬間、何か大切なものまで消えてしまう気もする。一方で、胸の奥にはこれから燃え上がる可能性も残っている。相手は、その境目に立ったままです。
ワインそのものが歌の中に現れることも、この色をただの抽象的な比喩にはしません。夜に開けられるワインと、胸の奥にある赤い心が同じ場面で重なっていく。
歌詞にグラスの光景まで細かく書かれているわけではありません。それでも曲を聴いていると、夜の中で揺れる酒の色まで浮かんでくるような気がします。言葉の数は多くないのに、その周囲に景色が広がっていくところも、「ワインレッドの心」が長く残る理由なのかもしれませんね。
そして、心がまだ燃え始める可能性を持っていることは、相手を求めている人にとって希望でもあります。完全に消えてはいない。でも、燃えることも約束されていない。
だから何度も誘うのでしょう。二人の夜を前へ進めたい気持ちは強いのに、相手の心だけは代わりに決められません。そこに、この曲の色気とは別の切なさがあります。
最後に求められるのは、言葉よりも瞳に映るもの
ここまで相手へたくさんの言葉を投げかけてきたのに、最後に求められるものは、気持ちを言葉で説明することではありません。心の色が瞳へ現れることです。
私はここに、この曲の寂しさがいちばん静かに集まっているように感じます。悲しい言葉には、もう十分に酔ってきた。忘れた方がいい理由も、もっと自由になった方がいい理由も、おそらくいくらでも言える。それでも本当に知りたいものは説明ではなく、相手の目に現れる気持ちなのです。
言葉なら、取り繕うことができます。「平気」「もう忘れた」「何とも思っていない」と言うこともできる。でも瞳に心の色が映るなら、そこにはまだ隠しきれないものがある。
最初からあった透明な瞳が、ここへ来て少し違うものに見えてきます。澄んでいるからこそ、その奥にある赤を見せてほしい。相手を変えたいというより、本当にそこにある気持ちを確かめたいという願いにも聞こえてくるんですね。

けれど面白いのは、求める側もまた、自分の気持ちをすべて言い切っているわけではないことです。
相手がもっと愛される未来を語りながら、自分がこれからどう愛するのかを決定的な言葉では約束しない。相手には心を見せてほしいと願いながら、自分の側にも言葉にしていない部分がある。
私は「ワインレッドの心」の大人っぽさは、ワインや触れ合いを思わせる言葉だけから生まれているのではないと思います。二人とも、すべてを言わないまま近づこうとしている。その距離こそが、この曲を子どもの恋とは違うものにしているのかもしれません。
好きだと言えばすべてが解決するわけではないし、触れ合えば相手の心まで分かるとも限らない。むしろ近づいたからこそ、その人の中に自分の知らない場所があることへ気づくこともあります。
「ワインレッドの心」は、その知らない場所を無理にこじ開ける歌ではありません。いつかそこにある色が、相手自身の瞳へ現れる瞬間を待っている歌のようにも聞こえてきます。
安全地帯 40th ANNIVERSARY CONCERT “Just Keep Going!” Tokyo Garden Theater Blu-ray
歌詞の言葉をここまでたどったあとなら、スタジオ音源とはまた違う「ワインレッドの心」に戻ってみるのもいいですね。安全地帯40周年のステージを収録した映像作品で、「ワインレッドの心」も演奏されています。玉置浩二さんの声や間、バンドの演奏まで含めて曲を受け取り直したい人に自然につながる作品です。
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心の色が決まらないまま、この夜は残っていく
最初に聴いたとき、「ワインレッド」という色は、妖しくて成熟した恋の象徴のように聞こえました。でも歌詞の中をここまで歩いてから戻ってくると、私には少し違う色に見えています。
それは、燃え上がったあとの赤ではありません。忘れることも、残すことも、進むことも、立ち止まることも、まだ一つに決まっていない心の色です。だから濃いのに不安定で、すぐそばにあるのにつかみきれない。
そして曲は、相手がその心を本当に見せたのかどうかを教えてくれません。二人の関係がこの夜のあと変わったのかも分からない。願いはかなったと結論づけられず、心は最後まで揺れたままです。
でも、その答えのなさが私は好きです。誰かの心を強く求めても、その人の過去までこちらの都合で消すことはできません。燃えてほしいと思っても、代わりに火をつけることもできない。
愛することと、相手の心を決めることは違うのでしょうね。その当たり前なのに難しい距離が、「ワインレッド」という深い赤の中へ残されています。
次に「ワインレッドの心」をもう一度聴くとき、私はきっと華やかな誘いより先に、二人のあいだに残された小さな距離へ耳を向けると思います。
忘れそうな過去を抱えたまま、まだ燃えきらない心を持て余している人。その心が瞳に映るのを待ちながら、何度もこちらへ誘う人。消えそうなのか、燃えそうなのかは、最後まで決まりません。
だからこそ曲が終わったあとも、あの赤だけが夜の中に残るのでしょう。今度聴くときには、その色が最初に思い浮かべた「情熱」と同じ赤に見えるのか、少しだけ確かめてみたくなります。
もう一度、「ワインレッドの心」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

