Mrs. GREEN APPLE『Soranji』歌詞考察|「諳んじる」に重ねた、忘れたくない愛

Mrs. GREEN APPLE『Soranji』歌詞考察|「諳んじる」に重ねた、忘れたくない愛

明日の朝は、何を食べようか。

そんな話をしているときは、それが幸せな時間だなんて考えもしない。パンを焼く間に交わす言葉も、出かけるあなたを見送ることも、いつもの一日の小さな出来事だから。けれど、同じ朝をもう一度迎えたいと願う日には、あんなに普通だった時間が、たまらなく愛おしくなる。

あなたの声を、いつまで覚えていられるだろう。笑い方も、名前を呼ぶときの少し違う響きも、忘れるつもりなどなかった。それなのに、月日が過ぎると、記憶の中の声は少しずつ遠くなる。もう一度聞きたくて、心の中で何度も思い返す。何でもない話をしていた、あの頃のあなたに会いたい。

もし明日も一緒にいられるなら、今度はちゃんと伝えたい。朝の光の中で、いつものように向かい合って、あなたと過ごす今日が好きだと。遠い未来の約束はできなくても、明日の予定なら一緒に考えられる。その小さな楽しみを、ひとつずつ増やしていけたらいい。

Mrs. GREEN APPLEの「Soranji」を聴いていると、誰かを大切に思うことが、こんなにも切実な願いになるのかと胸がいっぱいになる。愛する人に会いたいという思いは、やがて、その人に生きていてほしいという願いへと広がっていく。

その願いの先には、誰かに愛されているときだけではなく、ひとりで傷つき、うまく歩けなくなった日にも失われない、命の尊さがある。

目次

あなたに、まだ伝えていない言葉がある

大切な人ほど、面と向かうと素直になれないことがある。

会いたかったと伝えるつもりだったのに、顔を見れば何でもない話を始めてしまう。ありがとうと言いたかったのに、照れくさくて違う言葉に変えてしまう。帰り際になってようやく思い出しても、またすぐに会えると思えば、そのまま飲み込んでしまう。

そうして伝えなかった言葉が、あとになって何度も胸に戻ってくる。

歌の始まりにも、相手に届けようとしながら、最後まで言葉にできない思いがある。胸の中には確かな気持ちがあるのに、その先をどう伝えればいいのか分からない。言葉が途切れたところに、まだ話し足りない心が残されているようで、何度聴いても切なくなります。

けれど、その相手がどんな人なのか、歌は詳しく教えてくれません。恋人にも、家族にも、もう一度会いたいと願う誰かにも重ねられるのでしょう。大切なのは、ふたりの関係を決めることよりも、その人に出会えた喜びが、今も心の中にあることなのだと思います。

人との出会いは、いつから宝物になるのでしょう。

初めて会った日には、こんなに大切な存在になるとは思っていなかったかもしれません。一緒に過ごす時間が増え、好きな食べ物を覚え、何でもない話で笑うようになる。そんな日々の中で、いつの間にか、その人がいることが自分の暮らしの一部になっていきます。

この曲には、探していた宝物が、実はすぐそばにあったという気づきも描かれています。

遠くばかりを見ていたときには気づかなかったもの。毎日顔を合わせていた人の優しさや、いつも帰る場所がある安心感。なくしたあとで初めて大切さを知るのではなく、今そばにあるうちに、その温かさに気づけたらいい。

そんな思いが、会いたいという願いの奥に静かに流れています。

傷ついた日も、歩いてきた時間の中にある

誰かの楽しそうな話を聞きながら、自分だけが取り残されているように感じることがあります。

新しい仕事が決まった人、夢に向かって進んでいる人、幸せそうに暮らしている人。みんながそれぞれの明日へ歩いているのに、自分には何ができるのだろう。そんなことを考え始めると、昨日まで普通に過ごしていた毎日まで、少し心細くなってしまうものです。

「Soranji」には、周りの人たちについていこうと懸命に過ごしている姿があります。

その言葉から思い浮かぶのは、何か大きな挫折をした人ばかりではありません。仕事で思うような結果が出なかった人も、誰かとの関係に悩んでいる人もいるでしょう。特別な出来事がなくても、毎日を過ごすだけで精いっぱいになる日があります。

そんなとき、歌の中で傷と記憶が結びつけられるところに、ふと心が留まります。

できれば忘れてしまいたい出来事も、自分がそこを通ってきた証として残っている。傷ついた経験を無理に美しいものへ変えるのではなく、その時間も確かに生きていたのだと、静かに受け止めているように聞こえるのです。

信じていた人に裏切られたことも、大切にしていたものを失ったことも、簡単には忘れられません。あのときの自分に、もっと違う言葉をかけてあげられたらと思うこともあります。

けれど、思い出すたびにつらくなるのは、それほど大切にしてきたものがあったからなのでしょう。何も感じなかったわけではなく、失いたくないと思いながら過ごした時間が、そこにあったのです。

玉置浩二さんの「田園」に描かれた、うまくいかない日々へのまなざしにも、似た温かさがあります。何もかもうまくできる人だけではなく、つまずいた人にも、それぞれの暮らしがある。その当たり前のことを、歌は思い出させてくれます。

大森元貴さんは音楽ナタリーのインタビューで、この曲を書くために自分自身の奥深くまで向き合ったことを語っています。苦しいことや悲しいことも含めて、人が生きてきた時間を見つめようとした思いが、あの力強い歌声からも伝わってきます。

歌の中で、小さな希望を信じてほしいと願う言葉が、何度も胸に届きます。

そこには、明日になればすべてがよくなるという約束はありません。だからこそ、つらい気持ちを抱えたまま聴いていられるのかもしれません。まだ元気になれない自分にも、この歌は居場所を残してくれているように感じます。

雪が溶けても、心はまだ冬の中にいる

冬が終わりに近づくと、街の景色は少しずつ明るくなります。

冷たい地面に日差しが届き、鳥たちは新しい季節へ向かって飛び立っていく。春を待っていた人には、うれしい変化なのでしょう。けれど、そんな景色の中で、自分だけがまだ小さくなっているように感じる日もあります。

この歌で描かれる春には、そんな寂しさが残されています。

雪が溶けても、心の中にある悲しみまで消えるわけではありません。周りが新しい季節を迎えているときにも、去年の春に別れた人を思い出したり、あの日の出来事を忘れられずにいたりする。外の明るさと自分の気持ちが、どうしても合わないことがあります。

鳥たちが飛び立つ空を見上げながら、まだ同じ場所にいる自分を思う。その景色を想像すると、無理に前を向こうとして、かえって疲れてしまった日のことが浮かびます。

けれど、曲はそこで春の景色を終わらせません。

やがて、どこかから赤ん坊の産声が聞こえてきます。

小さな命が生まれた日。初めてその声を聞いた家族には、きっと忘れられない一日になるでしょう。まだ顔も知らなかった誰かが、この世界にやってきた。その喜びが、春の景色の中にそっと重なります。

私は、この場面を、すべての悲しみが癒える瞬間としては読みたくありません。

心が沈んだままの人がいる一方で、新しい命を迎えて喜んでいる人もいる。ふたりは同じ春の中にいながら、それぞれ違う一日を過ごしています。そのどちらも、誰かが生きている時間なのです。

何年も繰り返されてきた春が、今年もまた訪れる。

自分が生まれた日にも、誰かがあんなふうに声を聞いてくれたのだろうか。そんなことを考えると、今まで当たり前だと思っていた自分の始まりまで、少し不思議に感じられます。

昨日までのつらさが消えなくても、今日の空を見上げることはできる。道端に咲いた小さな花を見つけたら、ほんの少し足を止めてみる。そんな時間が、いつか新しい思い出になっていくのかもしれません。

明日の予定を立てるという、ささやかな幸せ

明日の予定を考えるのは、いつも何気なくしていることです。

仕事が終わったら買い物に行こう。週末は少し遠くまで出かけよう。そんな話をしていると、まだ来ていない日の景色まで、なんとなく思い浮かんできます。

けれど、もし明日が必ず来るとは限らないとしたら、その何気ない約束も、ずいぶん違って感じられるのでしょう。

「Soranji」には、世界が終わる日にも、明日の予定を立てようとする思いが描かれています。

この言葉には、不思議な明るさがあります。

もう明日は来ないと分かっていても、何をしようかと話し合いたい。その人と過ごす未来を、最後の瞬間まで思い描いていたい。何も変えられないと知っていても、もう一度会う日を楽しみにする気持ちだけは、手放したくないのかもしれません。

約束をするとき、私たちは明日が来ることを疑いません。来週も、来月も、また会えるつもりで話をしています。けれど、振り返ってみると、その時間がどれほど幸せだったかを、あとになって知ることがあります。

ふたりで小指を結んだ日を思い出します。

何を約束したのかは忘れていても、相手が笑っていたことや、そのときのうれしさは覚えている。まだ何も始まっていない未来を、一緒に楽しみにしていたのです。

この曲では、大切な人へ届けたい愛情も、今日という時間に結びついています。

昨日も好きだったけれど、今日もまた同じように大切に思っている。その気持ちを、明日へ持ち越すのではなく、今日の言葉で伝えたい。そんな素直さが、明日の予定を立てるという願いと重なって聞こえます。

遠い未来にどんなことが起きるかは分かりません。

それでも、次に会ったときに何を話そうかと考える時間は、今ここにあります。まだ訪れていない明日を誰かと楽しみにできる。その小さな幸せが、人をもう一日先へ連れていってくれることもあるのでしょう。

「諳んじる」――忘れずに届けたかった愛

何度も読み返した手紙は、いつしか紙を見なくても言葉を思い出せるようになることがあります。

書いてくれた人の声を思い浮かべながら、ひとつひとつの言葉を心の中で繰り返す。久しぶりに読み返しても、そこに書かれた思いは変わっていません。それなのに、読む自分の年齢や、その日の気持ちによって、少し違う響きで胸に届くことがあります。

「諳んじる」とは、文字を見ずに言えるほど、覚えておくこと。

この言葉を知ると、曲の題名が、それまでとは違って見えてきます。

「Soranji」は2022年11月9日に発売された楽曲で、映画『ラーゲリより愛を込めて』の主題歌として書き下ろされました。作詞・作曲は大森元貴さん。発売日はMrs. GREEN APPLEの公式サイトでも確認できます。

映画が描くのは、第二次世界大戦が終わったあと、シベリアの収容所で長い年月を過ごした山本幡男と、故郷で帰りを待つ家族、そして苦しい日々をともにした仲間たちの物語です。

山本には、どうしても家族へ届けたい言葉がありました。

しかし、その遺書を紙のまま日本へ持ち帰ることはできません。そこで仲間たちは、書かれた内容を分担して記憶し、帰国したあとで家族へ伝えました。

そのことを知ったとき、胸に浮かんだのは、何度も言葉を繰り返して覚える人たちの姿でした。

自分のための手紙ではないのに、忘れないように心に刻んでいく。書いた人がどれほど家族を大切に思っていたかを知っているからこそ、一言も失いたくなかったのでしょう。

紙がなくなっても、言葉は残る。

その言葉を覚えている人がいる限り、遠く離れた家族へ思いを届けることができる。長い年月を越えて伝わったのは、手紙の内容だけではなく、その人が家族を愛していたという確かな気持ちでした。

ここで「Soranji」の中にある、語り継ぐという言葉の響きが、もう一度胸に戻ってきます。

誰かが生きた時間を、別の誰かが覚えている。その人の言葉を大切に残し、やがて次の人へ届けていく。山本の仲間たちがしたことは、まさにその営みだったのだと思います。

中島みゆきさんの「糸」で描かれる、出会いから生まれたものが別の誰かへ届いていく物語にも、似た温かさがあります。誰かから受け取った思いが、自分の中だけで終わらず、知らない誰かの人生にまで届いていくことがあるのです。

思い返してみれば、誰にでも、今も覚えている言葉があるのではないでしょうか。

幼い頃に家族から聞いたこと。落ち込んでいた日に友人がかけてくれた一言。そのときは何でもない会話だったのに、何年たってもふと口にしてしまう言葉があります。

もう会えなくなった人の声を、心の中で何度も聞くこともあるでしょう。

その人がどんなふうに笑い、どんな言葉を好んで使っていたのか。細かなことは少しずつ曖昧になっても、受け取った愛情まで消えてしまうわけではありません。

諳んじるという言葉には、忘れないようにする人の優しさが宿っているように思えます。

大切だった時間を、自分の心の中に残しておく。そして、いつかその言葉を必要とする人がいたら、そっと手渡していく。

たったひとつの言葉にも、そんな長い旅があるのかもしれません。

何でもない今日が、忘れたくない一日になる

曲の終わりが近づくと、最初に思い浮かべていた「あなた」だけでなく、もっとたくさんの人の姿が見えてくるような気がします。

傷ついたことのある人も、誰かの帰りを待っている人も、今日生まれたばかりの小さな命もいる。それぞれ違う場所で、違う時間を過ごしている人たちです。

この曲では、そんな人たちの命を「我ら」という言葉で包み込んでいます。

最初は大切なひとりに会いたいと願っていた気持ちが、いつの間にか、自分も含めた多くの人の人生へ広がっていく。その変化に触れると、誰かを愛することと、自分自身の命を大切に思うことが、少し近づいてくるように感じます。

大森元貴さんはインタビューで、この命の尊さを歌った部分を、楽曲の中でも特に大切にしていると語っています。どれほどつらいことがあっても、人が生きてきた時間を無駄なものとして扱いたくない。その強い思いが、歌の終盤まで流れています。

けれど、曲は最後に、大きな理想や立派な生き方を求めたりはしません。

心に残るのは、何気ない今日を大切にしてほしいという、静かな願いです。

この言葉に触れたとき、最初に思い浮かべた朝の景色が戻ってきます。

テーブルに朝食を並べて、今日の予定を考える。誰かと顔を合わせて笑う日もあれば、ひとりで静かに過ごす朝もあるでしょう。いつもと変わらないように見えても、今日の時間は今日だけのものです。

特別な出来事がなくても、あとになって懐かしく思う一日があります。

あの頃は毎朝同じものを食べていたね、と笑えること。誰かがいつも座っていた場所を見て、その人の声を思い出すこと。何でもない日々の中にも、忘れたくないものが少しずつ増えていきます。

そして、その思い出は、これから出会う誰かとの時間にもつながっていくのでしょう。

昔、誰かにしてもらってうれしかったことを、今度は自分が別の人にしてあげる。かつて受け取った優しさを、何年もたってから思い出す。そんな小さな出来事の中にも、確かに残っている愛情があります。

明日の朝は、何を食べようか。

そんな何気ない話ができることを、今日は少しだけ大切にしていたい。いつか振り返ったとき、あの朝も幸せだったと思えるように。

そして、忘れたくない人の声も、今日まで自分が歩いてきた時間も、心の中にそっと残しておきたいと思います。

もう一度、「Soranji」を聴いてみる

ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次