Superfly「愛をこめて花束を」歌詞考察|あの日と同じ景色で、ようやく渡せる愛

Superfly「愛をこめて花束を」歌詞考察|あの日と同じ景色で、ようやく渡せる愛

久しぶりに訪れた場所で、昔と同じように写真を撮る。そんな何気ない願いから、Superfly「愛をこめて花束を」は始まります。大きな花束に愛を込めて差し出す曲なのに、その入口にあるのは華やかな式場でも劇的な出会いでもなく、二人だけが覚えている景色なのですね。

かつて並んで立った場所へ、もう一度一緒に来られたこと。同じようにふざけて笑えること。誰かに説明しても伝わらないほど小さな喜びが、やがて胸いっぱいの感情へ育っていきます。明るく力強い歌声を聴いていると、その喜びは初めから迷いのない愛のようにも響くでしょう。ところが歌詞の中には、選び損ねた道や、人に甘えてしまった自分を見つめ直す時間も流れています。

この曲の花束は、恋が始まる瞬間の贈り物とは少し違うのかもしれません。いくつもの昨日を通って、今ようやく目の前にいるあなたへ差し出せるもの。写真に残したい二人の姿と、手渡したい花束。その二つを結んでいる時間をたどると、歌の華やかさの奥にある、少し不器用な優しさが見えてきます。

目次

あの日と同じ写真に、今の二人が写る

写真を撮ろうと誘う場面には、過ぎた時間をわざわざ呼び戻そうとするような親しさがあります。新しい景色を見つけに行くのではなく、二人がすでに知っている場所へ帰る。そこで以前と同じようにおどけてもらえたら、きっと昔の写真を見返したときのような笑い声が生まれるのでしょう。

写真は、そこに写る人の変化を隠してくれません。髪形も表情も、立ち方さえ、年月とともに少しずつ違っていくはずです。それでも同じ場所で同じポーズを取ろうとするのは、変わらなかったことを確かめたいからではなく、変わってきた二人が今も一緒にいることを喜びたいからではないでしょうか。昔の一枚と新しい一枚を並べたとき、間にある時間まで写っているような気持ちになることがあります。

この曲には、再びその場所へ来ることを約束していたという手がかりもあります。ただ、その約束をした日から今日まで、二人がどんな暮らしをしてきたかは詳しく描かれていません。長く離れていたのか、すぐそばで過ごしてきたのかさえ決められない。それなのに、ここへ来られたことを心から喜ぶ言葉には、今日が当たり前に訪れたわけではないという重みが感じられます。

一緒に来る約束は、交わすときには簡単に思えるものです。また来よう、と笑って言えた日から、何年も過ぎてしまうこともある。生活が変わり、気持ちが揺れ、思うように歩けない季節があっても、約束を覚えている人が隣にいてくれる。だから同じ写真を撮ることが、あの日には想像できなかったほど大切な出来事になるのかもしれません。

遠くの美しさを眺めていたころ

二人が見上げる空には、青さがあり、雲が流れています。近くにいるあなたと、遠くへ広がっていく空。その距離の違いが、この歌には不思議な奥行きを与えています。手の届かないものほど美しく見えるという感覚は、恋に限らず、若い頃の夢や理想にもよく似ていますね。

どこか遠くに、今よりもっと素敵な暮らしがある。別の選択をした自分なら、もっと上手に笑えていたかもしれない。そう思うと、目の前の穏やかな一日ほど、その価値が見えにくくなることがあります。遠くの美しさは輪郭がぼんやりしているぶん、都合のよい光だけをまとって見えるのでしょう。

この曲が面白いのは、そんな遠くへの憧れを頭ごなしに否定しないところです。空の青さも、流れる雲も確かに美しい。ただ、空を見上げたあとに視線を戻すと、すぐ隣には一緒に写真を撮ってくれる人がいます。遠くを眺める目と、隣の人を見る目。その間で、幸せのありかが少しずつ変わっていくようです。

理想は、まだ手にしていない自分の姿を見せてくれます。一方で、二人が笑い合う今日には、失敗した日も沈んだ夜も全部含まれています。どちらが華やかに見えるかと聞かれたら、理想のほうかもしれません。それでも、戻ってこられる場所がある人にとっては、うまく飾れない今日のほうが深く胸に残ることもあるのでしょう。

選び損ねた道も、あなたのいる場所へ続いていた

歌の途中で、それまで明るく広がっていた景色に、自分自身への少し苦いまなざしが差し込みます。似たような毎日の中で、選べたはずの道を選ばなかったこと。間違えたと思う選択を何度も重ねたこと。過去の自分を見つめる言葉は、愛の歌だからといって、その弱さをきれいに塗り替えようとはしません。

印象に残るのは、涙を見せることで相手に慰めてもらえると、どこかで期待していた自分まで振り返っていることです。誰かに頼るのは決して悪いことではないはずなのに、ここには、相手の優しさに甘えていたと気づいた人の照れくささがあります。泣いている自分を抱きしめてほしかった日も、相手が何を感じていたかを考えられなかった日もあったのかもしれません。

だからといって、この二人が何度も別れと復縁を繰り返したと決める必要はないでしょう。歌詞にあるのは、人生の選択に迷い、遠回りしてきたという実感です。同じ家へ帰る毎日であっても、心が相手から遠ざかることはあります。別々の道を歩いて初めて、大切な人のいる場所を知ることもある。どちらの時間を重ねても、この歌の「戻る」という感覚は生きてくるのだと思います。

人は後悔した選択を、できることなら消してしまいたいと願います。でも、過去を一つも変えずに今の場所へたどり着いたのだと思うと、失敗の見え方が少し変わることがあります。あの日の迷いまで正しかったと美化しなくてもいい。ただ、迷った自分を含めて今の私がいて、その私がもう一度あなたの前に立っている。ここには、まっすぐな人だけが愛されるのではないという、静かな安心があるように感じます。

中島みゆきの「糸」の考察でも、異なる時間を生きてきた二人が出会い、その後に何かを残すという不思議をたどりました。「愛をこめて花束を」では、出会ったことの意味が、何度も遠回りしたあとの「今日」にそっと姿を現すようです。

花束を差し出すまで、言えなかったこと

花束は、美しいものを束ねた贈り物です。何本も集めれば腕からあふれ、包み紙はかさばり、受け取る人も思わず両手を差し出すでしょう。気持ちだけなら胸の内にしまっておけるのに、花束にすると、隠していた思いまで目の前にはっきり現れてしまいます。そこが、この歌の少し可笑しくて、たまらなく愛おしいところです。

大げさだと自分でも分かっているからこそ、受け取ってほしい。何か特別な理由があるのかと尋ねられたら、せっかくの決心が照れくささに負けてしまいそうになる。そんな気配をたどると、花束は立派な愛の証明というより、普段は上手に言葉を渡せない人が、自分の弱さごと差し出すために選んだ形に見えてきます。

感謝の言葉は、親しい相手ほど後回しになりがちです。いつも隣にいてくれるから、分かってくれていると思う。嬉しかったことも助けられたことも、改めて伝えるには今さらすぎる気がしてしまう。それでも、伝えなかった気持ちが消えるわけではありません。胸の中に積もり続けた小さな「ありがとう」が、ある日突然、一輪では足りないほど大きな花束になることもあるのでしょう。

この歌の美しさは、愛を伝える人が完璧になったわけではないところにあります。昨日までの迷いも、甘えていた自分も、そのままそこにいる。相手に花を贈ると同時に、そんな飾らない自分を受け止めてほしいと願うのです。贈り物をする側が、実は受け取ってほしいものをもう一つ抱えている。花束の向こうには、そばにいてほしいと願う、素直な心が見えています。

あなたに贈る色を、ひとつに決められない

途中に現れるいくつもの色の名前は、花束にたどり着く歌らしい鮮やかさを持っています。青や紫を思わせる色もあれば、火のような色、淡い色、くすんだ色もある。幸せな愛なら赤やピンク、と一色で表してしまえそうなのに、この曲は色を次々に並べ、あなたへ贈る色を問いかけます。

誰かを長く大切に思う気持ちは、一色に決められないのでしょう。晴れた日の明るさだけでなく、言葉がすれ違った日の影も、何気なく笑った午後のぬくもりも混ざっているからです。贈る相手を一つの色にたとえようとしても、知っている表情が多すぎて、どれも違う気がしてしまう。その迷いには、相手をよく見つめてきた時間がにじんでいるようです。

そして、花束という形にも目を向けたくなります。一輪の花なら、色も形もはっきりしています。色や大きさの違う花を合わせれば、隣り合うことでそれぞれの表情が変わり、一本だけでは生まれなかった景色になります。二人の時間も、最初から美しく調和していたのではなく、異なる日々が少しずつ重なったものだったのかもしれません。

ここで、冒頭の写真がもう一度心に浮かびます。写真は一瞬の光と色を残すもの。花束は色の異なる花を今この手に集めて渡すもの。片方は過ぎていった時間を大切にしまい、もう片方は今日の気持ちを相手へ届けようとしています。何気なく置かれた二つのものが、いつのまにか二人の過去と現在をつないでいるのですね。

写真に残らない、花束を渡したあとの時間

「愛をこめて花束を」は、Superflyが2008年2月27日に発売した4枚目のシングルで、TBS系ドラマ『エジソンの母』の主題歌でした(Superfly公式ディスコグラフィー)。作詞には越智志帆、多保孝一、いしわたり淳治が名を連ね、作曲は多保孝一、編曲は蔦谷好位置が手がけています。越智志帆さんは2011年の公式日記で、歌詞や編曲に時間をかけて大切に作ったことを振り返っています。その言葉を知ると、この歌が軽やかな勢いだけで生まれたのではなく、たくさんの手と思いを通って届いたことも感じられます。

歌い終わったあと、二人がどんな写真を撮ったか、贈られた花束がどこに飾られたかは分かりません。大切なのは、写真や花束が残ることだけではないのでしょう。もう一度同じ景色へ来られた二人が、今日の気持ちを言葉と形にして、そこからまた別の明日を歩き始めること。その先にも選び損ねる道はあるだろうし、相手に甘えてしまう日もあるかもしれません。

それでも、理想どおりに生きられなかった日々の先に、隣で笑う人がいる。そう気づけた今日の価値は、遠くの美しい何かと比べる必要のないものです。福山雅治の「桜坂」の考察では、同じ景色へ戻っても隣に同じ人はいない寂しさをたどりました。だからこそ、この歌の二人が同じ場所に並んで立てたことには、それだけで胸が温かくなるような重みがあります。

花束を抱えた手で写真を撮るのは、少し難しいかもしれません。どちらかが花を持ち直し、もう一人が笑いながらカメラの位置を決める。そんな小さなやり取りは歌詞には書かれていない、私たちの想像の中の景色です。でも、ふざけ合う二人を思い浮かべると、曲の最初に戻ったような気持ちになります。昔と同じポーズで立っていても、今ならその手に、あの頃にはなかった花束があるのでしょう。

写真に写る景色は、きっと昔とほとんど同じです。違うのは、そこへ戻ってくるまでに二人が過ごした時間と、ずっと胸にしまっていた気持ちを、ようやく渡せたこと。花束の色をひとつずつ思い浮かべながら聴き終えると、あの日と同じ景色が、もう一度新しい色で見えてくるのです。

もう一度、「愛をこめて花束を」を聴いてみる

ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

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