ポルノグラフィティ「サウダージ」考察|恋心と別れても、記憶は消さない

別れの歌なのに、「サウダージ」で最初に別れを告げられるのは「あなた」ではありません。離れていこうとしている相手を責めるより先に、「私」は自分の中にある恋心へ向かって、もうここで別れようと話しかけます。

それなのに、その恋を忘れたいわけでもないのですね。むしろ痛みが残っているあいだは、あなたを忘れずにいられると願っている。前へ進みたい気持ちと、失ったものを手放したくない気持ちが、最初から同じ場所にあります。

私が「サウダージ」を聴くたびに残るのは、この矛盾です。恋を終わらせることと、愛した時間まで消してしまうことは同じではない。その二つを分けようとするからこそ、この歌の別れはこんなにも切実に聞こえるのかもしれません。

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「あなた」ではなく、恋心に別れを告げる

ポルノグラフィティの「サウダージ」は、2000年9月13日に発売された4枚目のシングルです。作詞はハルイチ、作曲・編曲はak.homma。歌詞はポルノグラフィティ公式「ポルノグラフィティ全書 ~ALL TIME SINGLES~」でも確認できます。

夕暮れの海を見つめる人物のシルエットで、自分の恋心に別れを告げる心情を表したスライド

冒頭の「私」は、すでにあなたが去っていくことを知っています。何かを言えば関係が戻るとも、説明を聞けば納得できるとも思っていないのでしょう。だから別れ際に向ける言葉は、相手を引き止めるためのものではなく、自分を自分のまま保つためのものになっていきます。

ここで恋心が、まるでもう一人の自分のように呼びかけられているのが印象的です。「サヨナラ恋心よ」という短い言葉には、好きだった相手への別れだけではなく、その人を好きでいる自分との別れまで含まれているように聞こえます。

恋をしているあいだ、人はいつも自分一人の都合だけでは動けません。相手の言葉を待ち、表情を読み、明日の予定まで二人分で考えるようになることがあります。けれど、その相手が去ると決まったあとも同じように心を預け続けたら、自分まで一緒に連れていかれてしまう。最初の「私」には、そんな危うさが見えているのでしょう。

だからこの別れは、あなたを嫌いになるためのものではありません。好きだったことを否定するためでもない。ただ、これ以上あなたの側へ心を置いておけば、自分自身とはぐれてしまう。そのぎりぎりのところで、恋心だけをそっと切り離そうとしているように感じます。

知っていくほど、わからなくなっていった時間

曲が進むと、二人の時間は少し不思議な形で振り返られます。長く一緒にいたからこそ、あなたについて知ったことは増えていったはずなのに、同じだけ時間を重ねるうちに、今度は分からないことまで増えていく。

波しぶきと夕景で、相手を知るほど分からない部分が増えていく二人の時間を表したスライド

恋の始まりには、相手を知ることそのものが喜びになることがあります。好きなものを知り、考え方を知り、以前なら気づかなかった癖まで分かってくる。近づいている実感がありますよね。

人を知ることには終わりがありません。昨日まで分かったつもりだった人が、今日は少し違って見えることもある。親しくなればなるほど、簡単な言葉では括れない部分まで見えてきます。「知る」と「分かる」は、同じ方向へ進むとは限らないのでしょう。

二人の愛が遠ざかっていく様子に重ねられるのが、夕日の景色です。夕日は、突然消えるわけではありません。まだ光が残っているのに、もう沈み始めていることだけは分かる。明るかった空の色が少しずつ変わり、最後の光ほどかえって目に残ります。

海へ沈む夕日で、突然壊れるのではなくゆっくり遠ざかる愛を表したスライド

この恋の終わり方を感じます。何か一つの出来事で壊れたというより、まだ愛があるように思える時間の中で、もう以前と同じ場所には戻れないことが見えてきた。消えかけているからこそ、残っている光まで惜しくなるのでしょう。

夕日と、そこに残る人の記憶を描いた歌としては、同じ「歌詞の余白」の森高千里「渡良瀬橋」考察にも通じるものがあります。ただ「サウダージ」の夕日は、思い出の背景というより、愛そのものがゆっくり形を失っていく時間のように見えます。

タイトル「サウダージ」が置かれるのは、愛が消えたあと

タイトルになっているポルトガル語の「saudade」は、一語の日本語にきれいに置き換えにくい言葉です。ポルトガル語では、愛着を持っていた人や時代、場所などが失われたり遠ざかったりしたことで生まれる、痛みや郷愁、欠落感を含んだ感情を表す言葉として使われます。

この言葉が歌の中に現れる位置も大切に思えます。恋がまだ輝いている最中ではなく、愛が消えていく様子を見つめたあとに、そこへ「サウダージ」という名前が置かれるのです。

なくなったから、何も残らないのではありません。むしろ、なくなったと分かった瞬間からしか生まれない感情がある。もう戻れない時間を思う気持ちと、それでも確かに愛していたという記憶。その両方を抱えたものが、この曲の「サウダージ」なのかもしれませんね。

涙も波も海も、忘れさせてはくれない

「サウダージ」には、水にまつわる景色が何度も現れます。涙があり、波があり、やがて海の底へと視線が沈んでいく。けれど不思議なのは、水が悲しみを洗い流してくれるものとして描かれていないことです。

光が差す深い海で、悲しみを消さず愛した記憶を抱える心を表したスライド

流した涙で少し楽になれるのなら、そのまま泣いてしまえばいいはずです。ところが「私」は、痛みまでなくなることを望んでいないように見えます。悲しみが薄れることは、あなたの記憶まで遠ざかることとどこかで重なっているのでしょう。

波にさらわれゆく未来への期待も、自分を傷つけるだけだと分かっている。それでも海のイメージは、何もかも消してしまう方向には進みません。むしろ「私」はもっと深い場所へ潜り、誰にも触れられず、静かにあなたを思い出せるところへ行きたがります。

このあたりを聴いていると、忘れることより「思い出し方」を選ぼうとしているように感じるんです。別れたあとも、周囲の人は理由を尋ねるかもしれません。言葉にすれば、どちらが悪かったのか、なぜ終わったのかと説明することになるでしょう。でも説明を重ねるほど、二人だけの時間に別の影がついてしまうこともあります。

何も語らず、ただ自分の中だけで思い出していたい。海の底にいるような静けさを求めるのは、現実から逃げたいからだけではなく、愛した記憶をこれ以上傷つけたくないからなのかもしれません。

一方で、未来への期待については手放そうとしています。ここがとても切ないところですね。過去は捨てたくない。でも未来を期待すれば、またあなたのほうを向いてしまう。覚えていることは許したいのに、待つことまでは自分に許せない。恋心への別れは、この細い境界線の上で続いています。

砂浜と海の境界で、過去は捨てず未来は待たない恋心との決別を表したスライド

「寂しい」と「大丈夫」の間で、気持ちは整わない

曲の中でも、とりわけ人間らしく聞こえるのが、「寂しい」と「大丈夫」が並ぶところです。強がっている、と言ってしまえば簡単ですが、それだけでは少し足りないような気がします。

「大丈夫」は、必ずしも嘘ではないのでしょう。あなたがいなくても生きていく。自分を見失わない。その決意は、曲の最初から確かにあります。だから「私は大丈夫」と言いたい気持ちそのものは本物なのだと思います。

ただ、その言葉の前にも後ろにも寂しさがある。大丈夫になったから寂しくなくなるのではなく、寂しいままでも大丈夫でいようとしている。この順番があることで、きれいに立ち直った人の歌にはならないんですね。

朝の光が入るテーブルで、寂しさを抱えながら日常へ戻ろうとする気持ちを表したスライド

本当に苦しい別れのあとでも、朝になれば起きなければならないし、食事もするし、仕事や約束も続きます。人は悲しみが消えるまで人生を止めておくことができません。胸の中ではまだ呼び止めているのに、外側では普通に一日を過ごす。その二つが同時にある時間を、「寂しい」と「大丈夫」のわずかな往復がそのまま見せているように思います。

そのすぐ近くで、二人の出来事は「よくある話」の一つとして置かれます。出会って、好きになって、時には笑い、いつか別れる。たしかに世界のどこかでは何度も繰り返されてきたことでしょう。

けれど、自分に起きた別れまで「よくある」と思えるようになるには、少し距離が必要です。この言葉には、悲しみを小さくするための諦めもあれば、自分だけがこんな目に遭ったわけではないと日常へ戻ろうとする気持ちもあるのかもしれません。

誰にとってもよくあることなのに、自分にとっては一度きり。その両方が本当だから、恋の終わりは厄介ですね。

最後に残るのは、恋を失った「私」ではない

曲の終わりまで来ると、冒頭の言葉が少し違って聞こえてきます。最初の「私」は、恋心から離れなければ自分まで見失ってしまいそうでした。だから別れを決めます。

でも最後に振り返ると、恋心は自分を邪魔しただけのものにはなっていません。あなたのそばで永遠を感じた時間も、痛んだ夜も、その恋心と一緒に生きた自分の時間だったと受け止めるような響きがあります。

途中まで広がっていたのは、涙や波や海の景色でした。流されるもの、沈んでいくもの、静かな場所へ隠したいものが多かった。それが終盤では、夜空へ届くほどの熱を感じさせる景色へ変わります。

星空と街の灯りで、恋した時間を生きた証として受け止める終盤の余韻を表したスライド

愛が終わったことは変わりません。あなたが去っていくことも、未来への期待を手放さなければならないことも変わらない。それでも、恋をした自分の時間まで水の中へ沈めてしまう必要はなかったのでしょう。

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歌詞を読み終えたあと、同じ曲がライブではどんな熱をまとって届くのか確かめたくなる方へ。「サウダージ」を歌詞だけでなく、ステージで生まれる声や演奏と一緒に味わうと、曲の余韻がまた違って感じられます。

「サウダージ」は、忘れられないから前へ進めない歌ではないように私は思います。忘れなくても、自分の人生へ戻ることはできる。会えない人を思い出す場所が心の中に残ったままでも、私は私として生きていける。そのために恋心へ別れを告げたのではないでしょうか。

だから次にこの曲を聴くとき、「サヨナラ恋心よ」は、恋を捨てる言葉というより、長いあいだ自分の中にいたものを見送る言葉として聞こえるかもしれません。

淡い海と空を背景に、恋心を捨てるのではなく見送る別れを表したスライド

去っていくあなたを追わないこと。未来を待たないこと。それでも、愛したことまでは消さないこと。

曲が終わったあとにも残っているのは、別れの瞬間だけではありません。もう戻らない時間を懐かしく思えるほど、確かにその恋を生きた「私」の熱です。その余熱に、私たちは今も「サウダージ」という名前を重ねているのかもしれませんね。

もう一度、「サウダージ」を聴いてみる

ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

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