君を好きになったことを、間違いだったとは思いたくない。けれど、このまま君の隣にいる未来を思い描こうとすると、どこかで心が立ち止まってしまう。Official髭男dism「Pretender」を聴いていると、そんなふうに、好きな気持ちだけでは越えられないものを前にした人の寂しさが、ゆっくり近づいてきます。
二人のあいだに何もなかったのなら、きっとここまで苦しくはなかったのでしょう。君の髪に触れれば心は揺れ、そばにいれば離れがたくなる。それほど近くにいるのに、僕はその温度を未来へ持っていくことができない。恋が終わったあとを歌っているのではなく、まだ好きな人の隣で、その恋を終わらせようとしているからこそ、「Pretender」には簡単な失恋という言葉では包みきれない痛みが残っています。
そして、どれだけ自分に言い聞かせても、最後まで消えてくれないものがある。君を選ぶことはできなくても、君を見たときに感じた美しさだけは否定できない。その気持ちがたどり着いたところに、「君は綺麗だ」という言葉が置かれているように思います。

好きなのに、二人の未来だけが見えない
恋をしているとき、私たちはつい、その先にも同じ人がいることを思い描きます。次の季節も、来年も、もっと遠い未来も、今そばにいる人と続いていくような気がする。けれど「Pretender」の僕は、君の隣にいながら、少しずつその未来から自分だけが外れていくのを感じています。
これは、君を嫌いになった人の目線ではありません。むしろ気持ちが残っているから、ほんの少し距離が縮まるだけでも心は動いてしまうのでしょう。触れられるほど近いということは、本来なら恋の幸せを感じる距離のはずなのに、この歌ではその近さがかえって痛みを深くしています。君に近づくたび、忘れようとしていた気持ちまで近づいてくる。離れた方がいいと分かっている心にとって、そばにいられることそのものが優しさにはならないのです。
私はここを聴くと、恋には「遠いから届かない」だけではなく、「近すぎるのに届かない」こともあるのだと思います。会えない人なら、いつか会えなくなったことに慣れていけるかもしれない。でも目の前にいる人を好きなまま、その人と自分の未来だけを諦めていくのは、簡単ではありません。
だから僕は、この恋を失ってから泣いているのではなく、まだ手の中にあるうちから別れを見つめています。今日が幸せであればあるほど、その時間が続かないことまで見えてしまう。二人でいる今と、一人で歩く未来が同じ場所に重なっているような寂しさが、この曲の最初からずっと流れているのでしょう。

「Pretender」は、君に嘘をつく人ではなく僕自身なのかもしれない
タイトルの「Pretender」には、何かを装う人、何者かのふりをする人という意味があります。けれどこの歌を聴いていると、誰かが誰かを騙しているというより、僕が自分の心に向かって、もう終われる人のふりをしているように見えてきます。
本当はまだ好きなのに、別れられる自分を演じようとする。本当は君を手放したくないのに、これが正しい選択なのだと自分へ言い聞かせる。人は大切なものを諦めるとき、いつも気持ちが整ってから離れられるわけではありません。心をその場所へ残したまま、身体だけ先に歩き始めなければならないこともあります。
そんなとき、少しだけ「平気な自分」を演じるのでしょう。もう大丈夫だと思ってみる。仕方がなかったと言ってみる。相手の幸せを願える人になろうとする。その言葉が全部嘘なのではなく、まだそこまで追いついていない心を、少し先の自分へ連れていくために必要な演技なのだと思います。
「Pretender」の僕にも、そんな時間があるように感じます。別れを口にする自分と、君に触れれば揺れてしまう自分は、どちらも本当なのでしょう。その二つがうまく一人になれないから、僕は恋の中にいながら、どこか自分ではない役を演じ続けることになる。
映画『コンフィデンスマンJP』の主題歌として生まれたこの曲には、本当と嘘の境目が簡単には見えなくなる感覚も重なっています。藤原聡さん自身も、好きなのか嫌いなのか、悲しいのか明るいのか、どちらかに決めきれない感覚について語っています。けれど、分からないものばかりの中でも最後まで残せるものがある。それが、この歌では君を見つめたときの美しさだったのでしょう。

違う世界で出会いたいと願うのは、今の君を変えたくないから
もしこの恋が、どちらか一方の過ちだけで終わるのなら、もう少し簡単だったのかもしれません。君が悪いのなら責めればいいし、自分が悪いのなら謝ることもできる。直せるものがあるのなら、もう一度やり直そうとすることだってできます。
けれど僕が思い描くのは、今から何かを変えればたどり着ける未来ではありません。もっと違う関係で出会っていたなら、もっと違う二人だったならと、もう戻ることのできない場所まで心がさかのぼっていく。そこまで戻らなければ叶わないと知っているからこそ、その願いには最初から諦めの色が混じっています。
それでも、「君と出会わなければよかった」とはならないところが、私はとても好きです。忘れたいのが君そのものなら、最初から出会わない人生を願えばいい。それなのに僕が夢見るのは、君がいない世界ではなく、君と別の形で出会える世界です。
今の君ではだめなのではない。今の僕がだめなのでもない。ただ、この二人のままでは同じ未来へ行けなかった。その現実を前にすると、相手を嫌いになって別れるより、ずっと行き場がありません。誰も悪くない恋には、怒りを置く場所がないからです。
だから僕は、君に向ける気持ちを消すのではなく、叶えられなかった世界の方へそっと置こうとしているのでしょう。あのとき別の出会い方をしていたらという想像は、未来へ進むためには必要のないものかもしれない。それでも、好きだった人を嫌いにならずに手放すためには、そんな小さな逃げ道があってもいいように思います。

君の髪に触れられる距離が、いちばん遠い
「Pretender」には、大きな事件が起きるわけではありません。激しく争う場面も、相手を責め立てる言葉もない。それなのに胸が痛むのは、君との距離があまりにも近いからでしょう。
髪に触れるという行為には、声をかけるよりもずっと親密な温度があります。それは、知らない人には許されない距離であり、相手の気配が指先まで伝わってくる距離でもある。だからそこにいる君は、僕にとって決して遠い人ではありません。
それなのに、未来を考えた瞬間だけ、二人の間にとても広い場所が現れる。
私はこの距離の変化が、「Pretender」の切なさを支えているように感じます。目の前にいる人を失う怖さより、目の前にいるのに自分のものにはならないと分かっていく怖さ。触れられることが希望ではなく、忘れられない理由になってしまう恋もあるのだと思います。
別れたあとなら、写真をしまったり、思い出の場所を避けたりすることができます。でもまだそばにいる人を忘れようとするとき、目の前のすべてが記憶になっていく。笑った顔も、髪の感触も、何気ない会話も、今この瞬間からもう「いつか思い出すもの」に変わり始めている。その時間を生きている僕には、幸せと寂しさを分けることができません。
もう会えない人の記憶から離れられない痛みは、PRINCESS PRINCESS「M」の歌詞考察にも残っています。ただ「M」が別れたあと、名前だけが胸の中へ戻ってくる歌だとすれば、「Pretender」では、まだ目の前にいる君が少しずつ記憶へ変わっていく。その違いを思うと、この曲の時間がいっそう苦しく感じられます。

運命の人ではないと認めても、君を好きだったことまでは消えない
恋をすると、この人こそ自分の運命の相手だと思いたくなることがあります。それは未来を信じるための、少し幸せな思い込みなのかもしれません。けれど「Pretender」の僕は、その言葉を自分から手放していきます。
君にとって、自分は最後に隣へ残る人ではない。そこまで考えられるようになるには、きっと何度も心の中で同じ場所を行ったり来たりしたのでしょう。好きだから諦められない自分と、好きだからこそ離れようとする自分。そのどちらかを間違いにしてしまえば少し楽なのに、この歌は一方だけを選びません。
私はそこに、この曲のやさしさがあると思います。
恋が終わるとき、「あの人は運命の人ではなかった」と言えば、少しだけ心を整理できることがあります。けれど運命ではなかったことと、大切ではなかったことは同じではないはずです。その人といた時間の中で笑ったこと、傷ついたこと、どうしても好きだと思ってしまったことまで、別れたあとから間違いに変える必要はありません。
僕は君との未来を諦めながら、君への気持ちそのものを消そうとはしていないように見えます。そこには、まだ未練も残っているでしょう。それでも、相手を嫌いになることでしか終われない恋より、好きだった人を好きだったまま遠くへ置いていく方が、本当はずっと時間がかかるのかもしれません。
「もう違う」と分かることと、「もう好きではない」と思えることの間には、大きな距離があります。「Pretender」の僕は、その間を歩いているのでしょう。まだ振り返ってしまうし、触れれば心は揺れる。それでも少しずつ、君を自分の未来から自由にしようとしているように感じます。

「君は綺麗だ」は、振り向かせるための言葉ではなかった
好きな人に「綺麗だ」と伝えるなら、本来は恋の始まりの方が似合うのかもしれません。その言葉をきっかけに距離が縮まり、相手がこちらを見てくれる。そんな場面なら、この言葉には未来があります。
けれど「Pretender」の「君は綺麗だ」は、君を振り向かせるために置かれているようには聞こえません。
僕はもう、この一言の先に答えを求めていないのでしょう。君も僕を好きなのか、やり直せるのか、二人に未来があるのか。そうした問いを少しずつ手放したあとに、それでも心から消えなかったものだけを確かめるように、君を見ています。
「好きだ」という言葉には、どうしても相手へ向かう力があります。伝えれば、その先の関係を求めたくなる。返事がほしくなり、できることなら自分を選んでほしくなる。でも「綺麗だ」という言葉なら、ほんの少し離れたところから相手を見つめることができます。
君は僕のものにならなくても、綺麗だった。僕を選ばなくても、君を好きになった時間は消えない。
そんなふうに考えると、この言葉は告白というより、もう渡すことのない手紙の最後に書いた一行のように思えます。返事はいらない。何かを変えてほしいわけでもない。ただ、君と過ごした時間を思い出したとき、この一つだけは嘘にしたくない。そのために残した言葉なのではないでしょうか。
藤原聡さんはインタビューで、本当か嘘か、好きか嫌いか、悲しい曲なのか明るい曲なのかといった、どちらにも決めきれないものがこの曲にはある一方で、最後に「君は綺麗だ」という答えだけは置けたという趣旨の話をしています。
私はその言葉を知ったとき、この歌が恋の答えを見つける物語ではなく、答えの出ない恋から一つだけ確かなものを持ち帰る物語だったのだと思いました。

グッバイのあとにも、君を好きだった時間は残っている
別れを選んだからといって、その日までの気持ちが消えるわけではありません。けれど人は、終わった恋を振り返るとき、どうしても結果から過去を見てしまいます。結ばれなかったのだから失敗だった、長く続かなかったのだから意味がなかった。苦しい夜ほど、そんなふうに考えてしまうこともあるでしょう。
でも「Pretender」を最後まで聴いていると、恋には結果だけでは測れない時間があることを思い出します。
君と未来を作れなかったことと、君を好きになったことは別の話です。二人が同じ場所へたどり着けなかったからといって、途中で見た景色まで消えてしまうわけではない。あのとき笑ったことも、触れた瞬間に胸が痛んだことも、別の世界ならと願ったことも、すべて僕の中に残っていきます。
だから最後の「君は綺麗だ」には、未練だけではなく、小さな肯定もあるように感じます。
この恋は叶わなかった。それでも、君と出会ったことまで否定しなくていい。君の隣に残れなかった僕が、最後に守れるのは、それくらいなのかもしれません。
もし本当に気持ちがなくなっていたなら、もっと簡単に別れられたでしょう。思い出を整理し、相手のいない生活へ移っていけばいい。でも「Pretender」の僕は、まだ君を見ています。もう自分の未来にはいないかもしれない人を、最後まで美しいと思っている。
その視線があるから、この曲は寂しいのに冷たくありません。
好きだった人を、自分のものにできなかったからといって悪い記憶に変えないこと。それはきれいごとなのかもしれないし、本当はそんなふうに見送れない夜もきっとある。それでも、人を好きになった時間を自分の中で大切に残せるようになることは、別れの先へ歩いていく一つの形なのだと思います。
次に「Pretender」を聴くとき、私は「グッバイ」より少しあとまで、僕の心を追ってみたくなります。
別れの言葉を言ったからといって、心までその場で終われたわけではない。君の姿はしばらく胸に残り、何度も振り返りたくなるのでしょう。それでもいつか、その記憶を苦しさだけではなく、君を好きだった時間として思い出せる日が来るのかもしれません。
その日まで消えずに残っているものがあるとすれば、それは「運命ではなかった」という結論より、もっと静かなものなのでしょう。
あの人は綺麗だった。届かなかった恋の最後に残されたその気持ちだけは、誰にも否定できないのだと思います。
「Pretender」は2019年5月15日に発売され、映画『コンフィデンスマンJP』の主題歌として発表された楽曲です。制作時の藤原聡さんの言葉は、Real SoundのOfficial髭男dism「Pretender」インタビューで読むことができます。
もう一度、「Pretender」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

