松田聖子「赤いスイートピー」考察|もどかしい恋に春が来るまで

松田聖子「赤いスイートピー」考察|もどかしい恋に春が来るまで

春の汽車、海、四月の雨、線路のそばの花。松田聖子さんの「赤いスイートピー」には、やわらかな色をまとった景色がいくつも現れます。それなのに、聴き終えたあと私の胸に残るのは、ただ明るい春の恋ではありません。

二人は出会ってから半年ほどの時間を重ねているのに、まだどこか遠いままです。主人公はもっと近づきたい。だけど相手の小さなしぐさに心を揺らしながら、自分から関係を急がせることもできない。そのもどかしさの中で、相手への気持ちだけは少しずつ深くなっていきます。

この曲の春は、二人の関係がうまくいったことを祝う春ではないのかもしれません。相手の答えが見えないままでも、自分の心だけはもう後戻りできない。私は「赤いスイートピー」を、そんな恋の内側に季節が訪れるまでの歌として聴いています。

半年という時間を重ねても手をつながない二人の距離を表したイメージ
目次

恋が始まっているのに、二人はまだ同じ速さで歩いていない

「赤いスイートピー」は1982年1月21日に発売された松田聖子さんのシングルです。作詞は松本隆さん、作曲は呉田軽穂名義の松任谷由実さん、編曲は松任谷正隆さん。松田聖子さんの公式ディスコグラフィーでも、この曲が呉田軽穂さんによる初の作曲作品だったことが確認できます。

ただ、こうした制作情報より先に耳へ入ってくるのは、二人の距離の不思議さです。半年という時間は、出会ったばかりの恋ではありません。何度か会い、相手の癖や空気にも少しずつ慣れている頃でしょう。それでも、主人公が期待しているような親密さにはまだ届いていない。

だからといって、主人公は相手を責めません。相手の態度に傷つきながらも、離れようとはせず、むしろ同じ方向へ進みたいと思っています。ここには、恋が進まないことへの不満と、その人だから待ちたいという気持ちが一緒にあるように見えるのです。

恋をすると、相手との距離は物理的な近さだけでは測れなくなります。すぐ隣に座っていても、気持ちが分からなければ遠い。反対に、まだ触れ合っていなくても、その人のことばかり考えてしまえば心はずいぶん近くにいる。「赤いスイートピー」の二人は、ちょうどその間を歩いているのでしょうね。

半年という時間は、ただ「何も起きなかった期間」ではないようにも感じます。もし本当に二人の間に何の積み重ねもなかったなら、主人公が相手の生き方にまで目を向けることは難しいでしょう。触れ合うような分かりやすい進展は少なくても、会うたびに話し、相手の考え方や振る舞いを見てきた時間があった。その蓄積があるからこそ、恋の理由が外見的な魅力から、その人らしさへ移っていくのかもしれません。

そう考えると、この二人は止まっているのではなく、目に見えにくい速さで進んでいます。恋愛には、手をつなぐ、告白する、約束する、といった分かりやすい節目があります。「赤いスイートピー」が見つめているのは、その節目の手前で相手を知っていく時間です。進展が遅いからこそ、主人公は自分が何に惹かれているのかを、半年かけて確かめていったようにも見えるのです。

春色の汽車は、今いる場所より少し先を走っている

冒頭に現れる汽車と海は、とても明るい景色です。けれど注意して聴くと、それは二人がすでに経験している思い出というより、主人公が相手に差し出す願いとして聞こえてきます。今ここにある風景ではなく、こうなれたらいいという少し先の風景なのです。

車窓から海を望む景色と春色の汽車が象徴する二人の未来への願い

この違いは、曲全体を通してみると意外に大きく感じられます。主人公はすでに恋をしている。でも二人の関係には、まだ「これから」が多く残されている。海へ向かう汽車は、その未完成な関係を先へ運んでくれるもののようにも見えます。

汽車という乗り物は、一人でも乗れます。それでもこの歌では、主人公は一人で海へ行こうとはしません。相手と一緒に行くことに意味がある。目的地よりも、その人と同じ方向へ動き出すことを願っているのでしょう。

同じ汽車が印象的に使われる曲でも、中島みゆき「ホームにて」の考察では、列車に乗ることができない人の心が描かれています。「赤いスイートピー」の汽車は、それとは反対に、まだ乗っていないからこそ未来を持っています。二人の関係もまた、到着した物語ではなく、これから動き出すかもしれない物語なのですね。

四月の雨の中では、時計を見るだけで心が揺れる

やがて景色は、晴れた海への憧れから、四月の雨の駅へ移ります。周囲に人の気配がなくなり、二人きりになれば距離は縮まりそうです。ところが、そこで生まれるのは甘い安心ではなく、居心地の悪い沈黙です。

好きな人と二人だけになれたら、きっと嬉しいはず。そんな単純な期待を、この場面は少し裏切ります。相手の気持ちがまだ分からないからこそ、二人きりの時間は嬉しさと同じくらい緊張を連れてくるのでしょう。

雨の窓辺で腕時計を見るしぐさから生まれる恋の不安を表したイメージ

相手が時計へ視線を向けるだけで、主人公の気持ちは急に沈みます。時計を見た理由は説明されません。帰る時間が近いのかもしれないし、ただ何となく時刻を確認しただけかもしれない。それでも恋をしている側には、その一瞬が「もう帰りたいのかな」「私といる時間は楽しくないのかな」という不安へ変わってしまう。

この不安は、相手が冷たいから生まれるというより、主人公の気持ちが大きくなったから生まれているように思います。どうでもいい相手なら、時計を見た程度で胸は痛みません。失いたくないものになったからこそ、小さなしぐさまで意味を持ち始めてしまうのです。

作詞した松本隆さんは後年、この曲について、恋をしているときは明るいばかりではなく、一緒にいる幸せの中にも不安や寂しさがあるという趣旨を語っています。松本隆さんへの「神戸っ子」インタビューを読むと、春の色彩の中にあえて揺れる感情が置かれていることが、曲の温度とよく重なって見えます。

相手についていきたい気持ちは、少しずつ形を変えていく

曲の中で何度も繰り返されるのは、相手と同じ方向へ進みたいという思いです。最初の頃、その気持ちはまだ恋の勢いに近く聞こえます。素敵だと思う人のそばにいたい。もっと近づきたい。自分の気の弱さを越えて、その人のいる場所へ行きたい。

けれど曲が進むにつれ、主人公が見ているものは少し変わっていきます。触れてくれるかどうか、優しい言葉をくれるかどうかだけではなく、その人がどう生きているかにまで気持ちが向かうからです。

同じ道を歩く二人の足元から相手の生き方に惹かれていく心を表したイメージ

ここまで来ると、同じ方向へ進みたいという願いは、単に相手に連れて行ってもらいたいという受け身の恋ではなくなります。主人公自身がこの人を選びたい、この人と同じ時間を走ってみたいと決めていく言葉に聞こえてきます。

相手の本心は最後まで詳しく語られません。半年たっても距離を詰めない理由も、時計を見た理由も、その後どうなったのかも分からない。それでも主人公の側には、確かな変化があります。相手に何をしてもらえるかより、その人そのものを好きだと思う気持ちのほうが強くなっているのです。

恋が進んだというより、恋を見る目が変わった。私はそこに、この曲の静かな成長を感じます。

「赤いスイートピー」は、現実の花より先に心の中で咲いた

タイトルになった赤いスイートピーには、興味深い制作背景があります。松本隆さんは先のインタビューで、作詞当時は赤い色のスイートピーが存在しないことを知らなかったと振り返っています。メロディーに合う花としてスイートピーを選び、その色も音の感触から赤にしたのだそうです。

この話を知ると、赤という色に最初から複雑な花言葉や象徴が仕込まれていた、と決めつける必要はなさそうです。けれど、歌の中でその花が置かれる場所はやはり印象的です。最初から現実の花壇に咲いているのではなく、まず主人公の内側に現れるからです。

白い空間に咲く赤いスイートピーと主人公の中で育った恋心

まだ二人の関係ははっきりしていない。それでも主人公の中では、もう何かが咲き始めている。相手から約束をもらったわけでも、関係に名前がついたわけでもないのに、気持ちは先に花になってしまうのですね。

そのあと花は、線路のそばのつぼみとして外の景色にも重なっていきます。この順序が私はとても好きです。先に心の中で咲いたものが、あとから現実の風景にも見えるようになる。恋をすると、それまでただの景色だったものが急に自分の気持ちに似て見えることがあります。雨も、駅も、線路脇の小さなつぼみも、好きな人を思う心を通した瞬間に別の意味を持ち始めるのでしょう。

線路脇の赤いつぼみがまだ完成していない二人の関係を象徴するイメージ

しかも、外の世界に現れる花はまだ完成していません。つぼみであることが、二人の関係によく似ています。主人公の気持ちはもう十分に育っているのに、二人の物語はまだ開ききっていない。だからこそ、そこには終わりではなく未来が残されます。

二人に春が来たのではなく、主人公の心に春が来た

終盤まで聴いても、二人が恋人になったとは書かれません。手を取り合ったとも、将来を約束したとも語られない。相手の気持ちは、最初から最後まで少し見えにくいままです。

それでも、曲は不安の中で終わりません。最後に変化するのは、二人の関係ではなく主人公の心です。相手の態度を確かめようとして揺れていた人が、やがて自分の気持ちのほうを確かめていく。私はそこに、この歌の春があるのだと思います。

考えてみれば、春は誰かの許可を待って来る季節ではありません。まだ寒さが少し残っていても、気づけば芽がふくらみ、色が増え、昨日までと同じ景色が違って見えるようになります。この曲の主人公も同じなのかもしれません。相手が急に変わったわけではないのに、心の景色だけがいつの間にか春へ移っている。

だから「赤いスイートピー」は、恋がかなった瞬間を描く歌というより、好きであることを自分の中で受け入れていく歌として聴くと、とても静かな強さが見えてきます。相手の答えがなければ恋は始まらないのではなく、自分の心に起きた変化もまた、確かな始まりなのだと教えてくれるようです。

もう一度この曲を聴くとき、春らしい色や可憐な花だけでなく、その手前にある半年の時間や、雨の駅で生まれた沈黙にも耳を澄ませてみてください。華やかな景色の奥に、不安を抱えたまま誰かを好きになっていく心が見えてくると、最後の春は少し違って感じられるかもしれませんね。

もう一度、「赤いスイートピー」を聴いてみる

ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

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