クリスマスの歌なのに、この曲を聴き終えたあとに残るのは、華やかな街の色よりも、誰かが確かにそこにいた部屋の静けさです。笑っていた顔も、急いで帰った道も、贈り物を抱えた腕の重さも、思い出そうとすればするほど鮮やかになる。それなのに、その鮮やかさの中へはもう戻れません。
B’z「いつかのメリークリスマス」が切ないのは、悲しい出来事を大きな言葉で語るからではないのでしょう。むしろ描かれているのは、好きな人のために買い物をして、その人が待つ家へ帰り、喜ぶ顔を見て抱きしめるという、あまりにも普通の幸福です。普通だったからこそ、失ったあとにも生活のあちこちから蘇ってくる。記憶とは悲しかった日より、幸せだった日のほうが長く人を立ち止まらせることがあるのだと思います。
「いつかのメリークリスマス」は、1992年12月9日に発表されたB’zのミニアルバム『FRIENDS』に収録されています。B’z公式では『FRIENDS』を、一つのストーリー性を持たせたコンセプト作品として紹介しています。曲だけを切り離しても胸に残りますが、もともと物語の一場面として置かれた歌だと知ると、ここで流れている時間の深さが少し違って見えてきます。作品情報はB’z公式『FRIENDS』ディスコグラフィーで確認できます。

閉店間際に選んだ椅子は、未来そのものだった
物語の最初にいる「僕」は、すでに過去を振り返っている人ではありません。十二月の街の中を走り、店が閉まる直前に君が欲しがっていた椅子を買い、それを抱えて電車に乗っています。大きな贈り物を持って移動するのは、きっと楽ではなかったはずです。それでも、その重さまで幸福の一部になっている。早く見せたい、喜ぶ顔を見たい、その気持ちが体を先へ先へと運んでいたのでしょう。
ここで椅子が選ばれているのが、私はとても好きです。指輪でも花束でもなく、部屋に置かれて、これから先もそこで使われていくもの。椅子には、二人の生活が明日も続くことを疑っていない人の時間が宿っています。いつかその椅子に君が座る。何度も食事をし、話をし、何でもない夜を過ごす。そんな未来まで一緒に包んで持ち帰っているように見えるのです。
まだこのときの僕は、幸福を失う可能性をほとんど見ていません。だから電車の中で一人でも寂しくない。君のもとへ向かっている途中だから、一人であることさえ幸せの中にあります。恋をしている時間には、ときどき目的地へ着く前からもう満たされている瞬間があります。この曲の最初の僕は、まさにその場所にいるのでしょう。

君の待つ部屋へ急ぐ道に、別れの気配はまだない
家へ向かう場面にも、特別な事件はありません。線路沿いを少し急いで帰る僕がいて、扉の向こうでは君が夕食を作っている。贈り物を見せれば君は素直に喜び、その顔を見た僕もまた君を抱きしめる。大きなドラマがないからこそ、その夜は二人にとって本当に幸せだったのだと伝わってきます。
人は別れたあと、何をいちばん思い出すのでしょう。最後に交わした言葉かもしれないし、喧嘩した夜かもしれません。でも長く残るのは、もっと説明しにくいものなのかもしれません。台所から聞こえた音、帰宅したときの部屋の明るさ、相手が何かをして待っていたという安心。そのときは記憶に残そうとも思わなかった風景ほど、あとになって突然よみがえります。
「いつかのメリークリスマス」の幸福には、すでに失恋のために用意された飾りがありません。二人はこの夜を、いつか切ない思い出になる夜として過ごしてはいないのです。これからも手をつないでいられるように感じ、夢を追いながら、喜びも悲しみも分け合う未来を自然に思い描いている。未来が約束されていたから幸せだったのではなく、二人とも未来が続くと信じていたから、その時間はこんなにも眩しいのでしょう。

幸せの真ん中で、「君がいなくなること」が怖くなる
けれど、幸せが深くなったところで、この歌の空気はわずかに変わります。僕の中に、君がいなくなることへの怖さが生まれるのです。まだ何かが起きたわけではありません。別れを告げられたわけでも、二人の関係が壊れ始めたと書かれているわけでもない。それでも、愛する人を持ったことで初めて、その人を失う未来まで想像できるようになってしまいます。
誰かを愛することは、その人がいる世界を手に入れることだけではないのでしょう。同時に、その人がいない世界がどれほど寂しいかを知ってしまうことでもあります。それまでは漠然としていた「失う」という言葉が、君の顔を持った瞬間、急に現実味を帯びてくる。幸福の中に不安が入り込むのではなく、幸福が大きくなったからこそ、不安の輪郭まで見えるようになったのだと思います。
ろうそくの灯りの中で、離れることはないと信じながら、理由の分からない涙がこぼれる場面も印象的です。未来を疑っているわけではないのに、体のどこかだけが、時間は止まらないことを知っているように見える。その涙を別れの予兆と決めつける必要はありません。ただ、ずっと続いてほしいと願った瞬間に、人は「ずっと」が永遠ではないことにも触れてしまう。その矛盾が、クリスマスの暖かな光の中に薄い影をつくっています。

「いつか」という言葉が、二人の時間を遠くへ置いてしまう
タイトルは「メリークリスマス」ではなく、「いつかのメリークリスマス」です。何年のクリスマスだったのか、どれほど前の出来事なのかは示されません。ただ「いつか」と呼ばれた瞬間に、その夜はカレンダーの中の一日ではなく、もう戻れない場所になります。
不思議なのは、遠い記憶として語られているのに、そこで起きたことは驚くほど具体的なことです。買ったものの重さ、帰り道、夕食を作る君、贈り物を見た顔。時間がたてば細部は消えていきそうなのに、この歌では細部こそ残っている。だから私は、「色褪せた」という感覚は、記憶そのものが薄くなったというより、あの夜へ戻れる道がなくなったことを指しているように感じます。
昔の写真は色が褪せても、写っている人の表情まで消えるわけではありません。むしろ古くなった写真ほど、今との距離をはっきり見せることがあります。この曲も同じです。思い出がぼやけたから悲しいのではない。あまりにもよく覚えているのに、その場所にいる自分だけがもういない。その距離が、「いつか」という短い言葉の中に閉じ込められているのでしょう。
B’z presents LIVE FRIENDS(Blu-ray/DVD)
『FRIENDS』を一曲だけではなく、作品全体の物語として感じ直したい人へ。2021年に行われたコンセプトライブでは「いつかのメリークリスマス」も演奏されており、冬の物語がステージでどのように息をし直すのかを確かめられます。
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荷物を抱えた誰かが、昔の僕を連れてくる
この曲で私がいちばん胸をつかまれるのは、最後に現れる「誰か」です。今の僕が立ち止まっているそばを、荷物を抱えた人が幸せそうに通り過ぎていく。その姿を見た瞬間、曲の最初にいた僕が戻ってきます。閉店間際に買った椅子を抱え、君の待つ家へ急いでいた、あの日の僕です。
最初と最後には、どちらにも「荷物を抱えた幸せな人」がいます。ただし、最初はそれが僕自身で、最後は知らない誰かになっている。この入れ替わりが残酷なほど美しい。街は同じようにクリスマスを迎え、誰かが誰かへの贈り物を抱え、足早に帰っていく。その光景の中から、僕だけが過去へ押し出されてしまったように見えます。
時間が過ぎても街は止まりません。かつて自分がいた場所には、別の誰かが立つことがある。幸せそうな人を見て妬むのでもなく、その人を追うのでもなく、僕はただ立ち止まっている。だから余計に切ないのでしょう。目の前の他人が、忘れようとしていた記憶を呼び戻したのではなく、自分もかつてあんなふうに幸せの中を急いでいたことを、静かに証明してしまうからです。

ここで、君がなぜいなくなったのかを歌詞は説明していません。二人が別れた理由も、その後に何があったのかも、死別なのかどうかも決められない。分かるのは、現在の僕の隣に、あの夜の君がいないということだけです。この余白があるから、聴く人は自分の記憶を重ねられるのでしょう。理由が書かれていないことは不足ではなく、この歌が長い時間を越えて残るための静かな空間になっています。
幸せだった記憶ほど、あとから深く人を立ち止まらせる
では、なぜ幸せだったはずの記憶が、こんなにも切ないのでしょう。私は、その幸せが嘘ではなかったからだと思います。もし最初から壊れかけていた関係なら、人は過去の中に理由を探せるかもしれません。でもこの歌に残っているのは、素直に喜ぶ君と、その君を素直に抱きしめた僕です。幸福だった事実そのものが、現在との距離を測るものになってしまうのです。
しかも僕は、あの夜を否定していません。幸せだった自分を恥じてもいないし、君を愛したことを間違いだったとも言わない。だからこの歌には、過去を捨てて前へ進むという分かりやすい結論がありません。忘れたほうが楽なのに忘れられない、というより、忘れる必要のない大切な時間が、今の自分を少し痛ませながら残り続けている。その痛みを抱えたまま冬の街に立つ姿が見えます。
人は、失ったものだけを思い出すのではないのでしょう。あのころの自分がどれほど無防備に未来を信じていたか、そのことまで一緒に思い出します。君を失ったことだけではなく、何も疑わず君のもとへ急げた自分にも、もう戻れない。その二重の距離が、この曲をただの失恋歌では終わらせません。
次に「いつかのメリークリスマス」を聴くとき、私は最後に通り過ぎていく荷物を抱えた人の姿を、少し長く見送ってしまいそうです。その人の向こうに、椅子を抱えて電車に乗り、君の待つ部屋へ急いでいた日の僕が見えると、曲の最初と最後が静かにつながります。
クリスマスが来るたびに蘇るのは、別れの日ではありません。二人が確かに幸せだった日のほうです。だから痛い。それでも、その夜があったことまで消してしまいたいわけではないのでしょう。「いつか」と遠くに置きながら、僕はまだその灯りを見失っていません。冬の街が今年も明るくなったとき、この曲はまた、もう戻れないあの部屋の扉をほんの少しだけ開けてくれるのだと思います。
もう一度、「いつかのメリークリスマス」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

