小林明子「恋におちて -Fall in love-」考察|鳴らなかった電話の向こうに

小林明子「恋におちて -Fall in love-」考察|鳴らなかった電話の向こうに

好きな人に電話をかけたいのに、あと少しのところで手を止めてしまう。「恋におちて -Fall in love-」を聴いていると、そんな夜の側に座っているような気持ちになります。声を聞けばきっと嬉しいし、ほんの少し話せるだけでもいい。それなのに受話器を持つ手はその先へ進めず、会いたい気持ちだけが行き場をなくして、静かな部屋に残されてしまうのです。

小林明子さんの歌声はあれほど大きく、美しく伸びていくのに、この曲を聴き終えたあと私の中に残るのは、広い空でも華やかな恋の景色でもありません。白いバラがあり、電話があり、好きな人のいない週末がある小さな部屋です。そこにはきっと、相手に届けられなかった言葉までまだ消えずに漂っていて、その静けさがこの歌を忘れられないものにしているように思います。

目次

白いバラが増えるほど、あなたのいない部屋は静かになる

会えない日にこぼれた吐息が白いバラへ変わって、部屋いっぱいに咲けばいい。そんな願いから始まるこの歌を、昔の私はとてもロマンティックなラブソングとして聴いていました。好きな人を思った気持ちが花になるなんて、なんてきれいなんだろう。でも今は、その白いバラを思い浮かべるほど、少し胸が痛くなるのです。

白いバラと会えない時間を数える花という「恋におちて」の考察

花でいっぱいになるのは、二人で暮らす部屋ではありません。会えない日にこぼれたものが一輪ずつ増えていくのだとしたら、その白いバラは、会えなかった時間を数える花にも見えてきます。たくさん咲けば咲くほど部屋は美しくなるのに、その真ん中にいるのは彼女一人だけ。そのことに気づくと、華やかだったはずの景色が、急に音のないものへ変わってしまいます。

吐息は、本来なら形を持ちません。口元からこぼれれば、そのまま消えてしまいます。それを花に変えたいと願うのは、誰にも見えない気持ちを、せめて自分の目に見えるところへ残しておきたいからなのかもしれません。あなたのそばへは置けないけれど、自分の部屋なら置いておける。あなたに渡せない思いなら、せめて私だけはなくさないでいよう。そんなふうに聞こえてしまうと、白いバラの清らかさまで切なく見えてきます。

それでも彼女は、自分の恋を乱暴には扱いません。苦しいから捨てるのでも、忘れられない自分を責めるのでもなく、きれいな花にしてそっと置いておこうとする。私はそこがとても好きです。誰にも見せられない恋であっても、自分までその気持ちを汚れたものとして扱わなくてもいい。白いバラを一輪ずつ拾い上げるような優しさが、この歌には残っています。

会いたい気持ちは走っているのに、彼女だけが動けない

白いバラに囲まれた部屋にいても、心はずっと相手のところへ向かっています。すぐにでも会いに行きたい、この身体ごと相手のもとへ届けてしまいたい。そんな強い気持ちがあるのに、彼女自身は前へ進めません。心だけが先に走り出し、そのあとを追えない自分が取り残されているように見えます。

窓辺に立つ女性と恋におちることへの怖さを表したスライド

私はここを聴くたび、「恋におちて」というタイトルが少し怖くなるんです。恋を始めたのではなく、恋に落ちた。自分で道を選びながら歩いてきたというより、気づいたときにはもう足元がなくなり、心だけが先に深いところへ落ちてしまったような言葉ですよね。そのあとから現実の自分が追いついてきて、初めて、どれほど戻りにくい場所まで来てしまったのかを知るのかもしれません。

好きにならなければよかったとまでは歌われないし、好きになったから幸せだとも言い切れません。ただ一つ確かなのは、もう好きになってしまったということです。その事実だけは変えられないのに、相手のところへ自由に行けるわけではない。心が前へ進むほど身体が止まってしまう、その二つの力が最も近くまでぶつかる場所が電話の前なのでしょう。

電話一本の距離なのに、その一本がどうしても遠い

この歌には、今では少し懐かしくなったダイヤル式の電話が登場します。受話器を取り、番号を一つ回すと、ダイヤルが小さな音を立てながらゆっくり元の位置へ戻ってくる。ほんの数秒のことなのに、好きな人へ電話をかけようとしている夜なら、その数秒はきっと長かったでしょう。相手の顔を思い浮かべるにも、やっぱりやめようと思い直すにも、十分な時間です。

彼女は最初から諦めていたわけではありません。声を聞きたいと思い、受話器を取り、相手へつながる番号を回し始めています。私は、電話をかけなかったことより、そこまで行ってしまったことの方が切ないんです。本当に心を閉じていたなら、受話器には触れなかったはずです。それでも手を伸ばしたということは、少なくともその瞬間だけは、何もかも忘れて相手の声を聞きたかったのでしょう。

けれど最後のところで手が止まる。電話一本で届く距離にいるのに、その一本がひどく遠い。遠距離なら会えない理由を距離のせいにできますし、すでに別れた二人なら連絡しない理由も分かります。でも、この歌では相手が完全にいなくなったわけではありません。そこにいて、もしかしたら声も聞ける。それなのに、自分から入ってはいけない時間があるからこそ、近くにいる人が余計に遠く感じられるのでしょう。

あと少しであなたにつながるところまで行ったのに、その「あと少し」を越えなかった。その距離の中には、会いたい気持ちだけではなく、越えてしまえば何かが変わることを知っている自分もいます。恋に夢中になりながら、それでも現実を全部忘れることはできない。私はその手の止まり方に、彼女が抱えている恋の大きさと苦しさの両方を感じます。

本当に欲しかったのは、あなたの「普通の一日」だった

電話をかけられない夜を知ったあとで、彼女が欲しがる週末を聴くと、その願いが急に身近なものに思えてきます。土曜の夜から日曜日までという時間は、恋人同士なら特別なことではないかもしれません。夜になっても帰らなくていい。翌朝になっても隣にいていい。時計を見ながら別れを惜しまず、誰かに返すこともなく、最初から二人のためにある一日です。

白いベッドと帰らなくてもいい人になりたいという願いを表したスライド

彼女が欲しいのは、豪華な旅行でも大げさな約束でもないのでしょう。ただ、あなたの普通の時間が欲しい。私はそこに気づいたとき、この歌がそれまでよりずっと悲しく聞こえました。数時間なら会えるのかもしれないし、電話なら話せるのかもしれない。それでも、日曜日まで続くあなたの時間は、自分には渡されないのです。

だから「会いたい」という願いの奥には、もっと静かな望みが隠れているように感じます。帰らなくてもいい人になりたい。誰かの時間を借りるのではなく、最初から自分のために用意された時間の中にいたい。そう願ってしまうからこそ、ただ会えればいいでは終われなくなってしまうのでしょう。

主題歌となったTBSドラマ「金曜日の妻たちへIII・恋におちて」は、元恋人同士の再会から、それまでの日常や人間関係が揺れ始める物語でした。歌詞の女性をドラマの特定人物とそのまま重ねることはできませんが、恋をした二人だけで世界が完結しないという感触は、ドラマとこの歌の間に静かに流れています。

英語で歌われる部分にも、二人だけでは閉じられない関係が見えてきます。そのため、この恋にはもう一人の存在があると読むことはできますが、誰がどんな立場なのか、誰が結婚しているのかまで歌詞だけで決めることはできません。ただ、彼女が望む週末が簡単には手に入らないことだけは、十分に伝わってきます。

もしかすると欲しいのは「誰にも返さなくていいあなた」なのかもしれません。でも、そこまで口にした瞬間、今まで何とか保っていたものが壊れてしまう。その怖さを知っているから、願いは相手へ直接渡されるのではなく、歌の中にだけ残されているのでしょう。

日本語では花に隠した心が、英語になると少しだけ裸になる

「恋におちて」は、日本語と英語を行き来します。その切り替わりを聴いていると、私は同じ女性の中にある二つの声を聞いているような気持ちになります。日本語の部分では、白いバラや電話、頬に手を当てる仕草が置かれ、気持ちを直接ぶつけるのではなく、景色の中へそっと隠しているように見えます。

日本語詞と英語詞で心の見え方が変わることを表したスライド

ところが英語になると、自分は本当に相手の心の中にいるのだろうかという不安や、二人だけでは終わらない関係の痛みが、少し近くまで出てきます。日本語では白い花の中へ包んでいたものが、英語に変わった瞬間だけ少し裸になる。私はそんなふうに感じるんです。

もちろん、英語だから本音、日本語だから建前と単純に分けることはできません。それでも二つの言葉を行き来するたびに、彼女が「言えるところ」と「言えないところ」の境目を歩いているように聞こえます。会いたいとは言えるけれど、あなたの人生の中で私は何なの、とまでは聞けない。週末が欲しいとは願えても、どうして私にはその時間をくれないの、と責めることはできない。

好きだという気持ちは確かなのに、自分が愛されている場所は確かではない。恋をしているとき、いちばん苦しいのは相手がいないことより、自分が相手の心のどこにいるのか分からないことなのかもしれません。だから彼女は相手を求めながら、同時に自分自身へも問いかけ続けているように聞こえます。この恋を抱えた私は、これからどこへ行けばいいの、と。

ダイヤルが戻る数秒を、湯川れい子さんは消さなかった

この曲の制作背景を知ると、電話の前で手を止める場面がもっと愛おしくなります。日本語詞を手がけた湯川れい子さんは、JASRACのインタビューで、「恋におちて」がドラマ主題歌になる過程で何度も歌詞を書き直したことを振り返っています。

私はその中でも、ダイヤルについてのお話が忘れられません。当時はすでに電話がダイヤル式からプッシュホンへ変わり始め、「ダイヤル」という言葉を別の表現へ変える案もあったそうです。それでも湯川さんが残したかったのは、ダイヤルを回してから元の位置へ戻るまでに生まれる、ほんのわずかな「間」でした。

ダイヤル式電話を回す指と声を聞きたい気持ち、つながる怖さを表したスライド

その話を知ったとき、私はこの曲のいちばん切ないものが、言葉ではなく時間だったのだと気づきました。好きですと告げる時間でも、会いたいと伝える時間でもありません。電話をかけるか、それともやめるか。そのあいだにある数秒です。誰からも見えないその時間を、湯川さんは歌の中から消さなかったのですね。

一つ番号を回して、ダイヤルが戻るのを待つ。その間に相手の顔が浮かび、もう一つ回して、また待つ。声を聞いたら嬉しい自分と、電話がつながったあとを怖がる自分が、そのたびに入れ替わっていたのかもしれません。そうして最後に手を止めたのだと思うと、電話が鳴らなかった夜にさえ、一つの長い会話があったような気がしてきます。

相手とは何も話していないのに、彼女の心の中では何度も名前を呼んでいたのでしょう。だから私は、この歌を聴くたび、実際に交わされた言葉よりも、とうとう相手へ届かなかった言葉の方を考えてしまうのです。

ピアノ初級者もらくらく弾き語り! ドレミふりがな付 ~80年代ベストヒット~

歌詞を読むだけでなく、旋律を自分の手でゆっくりたどってみると、言葉と言葉のあいだに置かれた「間」まで違って聞こえてくることがあります。「恋におちて -Fall in love-」を収載した、初級向けのピアノ弾き語り楽譜です。

ただ恋をしただけと言えたなら、きっとこんなに苦しくない

繰り返される英語の言葉も、私は誰かへ向けた開き直りのようには聴けません。むしろ、自分自身へ何とか言い聞かせているように感じます。好きになった理由をどれだけ探しても、この恋をきれいに説明できる言葉は見つからないし、忘れた方がいいと思っても心は簡単には従ってくれません。

私はただ一人の女性として、あなたを愛してしまった。そこまで言えたなら少しは楽になるのでしょうか。でも、この歌は「愛しているのだから仕方がない」とすべてを許してしまうところへは進みません。もしそうなら、電話をかける手は止まらなかったはずですし、欲しい週末ももっと強く奪いにいけたでしょう。

彼女は、好きだからこそ進めない場所にいます。自分の恋だけを見てしまえたなら、もっと楽だったのかもしれません。それでも相手の向こう側にある別の時間や生活を、完全には忘れられない。だから愛しているのに動けず、動かないまま愛することだけはやめられない。その狭い場所に立ち続けている姿を見ると、私はこの歌を単純に「不倫の歌」と呼んで終わりたくなくなるんです。

恋の名前を決めるより、その人がどんな夜を過ごしていたのかを、もう少し見ていたくなる。白いバラの部屋からも出られず、電話もつながらないのに、それでも自分の中に生まれてしまった恋から目をそらさない。私はそこに、この歌の美しさがあるように思います。

以前、今井美樹「PRIDE」を聴いたとき、誰かを愛することと、その愛を抱えた自分がどう生きるのかは、少し違うことなのだと感じました。「恋におちて」の女性は、まだその答えがある場所までたどり着いていません。だからこそ、決着のつかない心を抱えたまま立っている姿が、こんなにも長く残るのでしょう。

あなたにつながらなかった電話を、もう一度聴いてみたい

最後まで聴いても、二人がその後どうなったのかは分かりません。欲しかった週末を手に入れたのか、あの電話を別の日には最後までかけたのか、それともいつか相手を忘れる日が来たのか。歌は何も教えてくれません。でも私は、それでいいような気がしています。

もし二人のその後まで書かれていたなら、「恋におちて」は誰か二人だけの物語として終わっていたでしょう。けれど、この歌が残したのは、まだ何も決まっていない夜です。好きな人へ連絡しようとして、やめたことがある人なら、時代が違ってもどこか知っている夜なのではないでしょうか。

今はもう、ダイヤルが元の位置へ戻るのを待つ必要はありません。名前に触れれば電話はかかりますし、短い言葉ならほんの数秒で届きます。それでも、送信する直前に指が止まることはありますよね。送れば何かが変わるかもしれない。送らなければ、今夜も何も変わらない。その一秒だけは、1985年の電話の前にいた女性と、今を生きる私たちのあいだで、きっとそれほど変わっていないのでしょう。

スマートフォンの送信直前で指が止まる現代の恋のためらいを表したスライド

「恋におちて -Fall in love-」をもう一度聴くなら、今度は電話の向こう側にいる人ではなく、受話器を持ったまま黙っている女性のそばにいてみたいと思います。白いバラが静かに咲く部屋で、彼女は誰にも聞こえない声で、何度その人の名前を呼んだのでしょう。

電話はつながらなかったけれど、届かなかったから気持ちまで消えたわけではありません。むしろ誰にも届かなかったその時間の中で、恋はもっと深いところまで落ちていったのかもしれません。そんな夜を知ったあとで最初の白いバラへ戻ると、私はもう、あの花をただきれいだとは思えないのです。

静かな部屋のダイヤル式電話と届かなかった恋の余韻を表したスライド

一輪一輪が、とうとう言えなかった「会いたい」のように見えてしまうから。次にこの曲を聴くときも私はきっと、流れている音の中ではなく、その間に残された、鳴らなかった電話の音を探してしまうのでしょうね。

もう一度、「恋におちて -Fall in love-」を聴いてみる

ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

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