「YELL」と聞けば、誰かの背中を押す明るい応援の言葉を思い浮かべます。
いきものがかりの「YELL」を聴いていると、最初に胸へ入ってくるのは勢いのある励ましではありません。自分がどこにいるのかさえ確かめきれず、飛び立つ力はあるはずなのに、一人になることを怖がっている人の姿です。
だから私は、この曲を「頑張れ」と送り出す歌だけでは聴けないんです。ここにあるのは、別れをきれいに受け入れられた人の言葉ではなく、離れたくない気持ちを抱えたまま、それでも自分の道を選ばなければならない人たちの時間なのではないでしょうか。
とくに気になるのが、曲の中を行き来する「僕ら」「わたし」「独り」という言葉です。みんなでいる安心から離れ、自分の名前で生きていくところまで進んだとき、タイトルの「YELL」も、ただの声援とは少し違って聞こえてきます。
「YELL」は、飛び立てないところから始まる
「YELL」は、2009年9月23日に「YELL/じょいふる」として発売されました。第76回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲で、作詞・作曲は水野良樹さん。いきものがかり版では松任谷正隆さんが編曲を担当しています。発売時の位置づけやタイアップは、Sony Musicの公式ディスコグラフィでも確認できます。
合唱曲として知られているため、卒業や旅立ちの場面を思い浮かべる人も多いでしょう。でも、この曲は旅立つ瞬間から始まりません。むしろ、その一歩手前に長く立っています。夢は描いているのに動けない。自分には翼があると分かっているのに、それを開くことができない。その理由として置かれているのが、一人になる怖さです。
ここが「YELL」の優しさなのだと思います。新しい世界へ向かう人を、最初から勇敢な人にはしません。友達と離れるのがつらいことも、今までいた場所が心地よいことも、進みたいのに進めないことも、そのまま残しているんですね。

水野良樹さんは後年の歌ネットの卒業ソング座談会で、「YELL」を書いたときのことを振り返っています。NHK側からは中学生らしい明るさを求められ、最初はもっと元気な曲も作ったそうです。それでも自分の中に残っていた15歳の感覚を思うと、中学生には元気な面だけではなく、言葉にしきれない苦しさや複雑さもある。そちらに近い感情を書こうとして生まれたのが「YELL」だったと語っています。
その背景を知ると、曲の入口が迷いから始まることにも納得します。大人から見れば「これから楽しいことが待っているよ」と言いたくなる時期でも、本人にとっては、今いる場所を離れるだけで世界が大きく揺れることがあります。未来が明るいかどうかより、今日まで一緒だった人と明日から同じではなくなることのほうが、ずっと現実的だったりしますよね。
「僕ら」でいられるひだまりから、「独り」で向かう空へ
曲の前半では「僕ら」という言葉が何度も現れます。誰かと肩を寄せて過ごしてきた時間があり、その場所には温かさがある。けれど、夢の前に立ったとき、その温かさは少し違う顔を見せ始めます。
ずっと一緒にいることは、安心です。迷ったときには誰かの顔を見ればいいし、自分だけが立ち止まっているような気持ちにもなりにくい。でも夢は、同じ教室にいる人数分だけ別々にあります。同じ場所で同じ時間を過ごした人たちでも、これから先まで同じ道を歩くことはできません。

だから「YELL」に出てくる孤独は、誰にも愛されていない人の孤独ではないように思えます。大切な人たちがいるからこそ、その人たちと別の道を選ぶことが孤独になる。支えてくれる誰かがいても、自分の人生そのものを代わりに歩いてもらうことはできない。その当たり前のことを、まだ大人になりきらない時期に初めて引き受けようとしているのではないでしょうか。
「僕ら」の時間が否定されているわけではありません。むしろ、一緒に過ごした日々があるからこそ、離れたあとにも持っていけるものが生まれています。別れによって関係が消えるのではなく、同じ場所にいる関係から、離れた場所で互いを思える関係へ変わっていく。その変化が、この曲では「YELL」という言葉に預けられているように聞こえます。
別れの向こう側へ未来を置くという意味では、ZONE「secret base~君がくれたもの~」の考察にも近いものがあります。ただ、「secret base」が再び会える未来を信じることで別れを越えようとするのに対して、「YELL」はもう少し手前で、自分の足で別々の道を選ぶ瞬間そのものを見つめているようです。
「ほんとうの自分」は、どこかに完成した形で待っているのか
曲が進むと、自分とは何者なのかという迷いが、よりはっきり前へ出てきます。ここで印象に残るのが、「ほんとうの自分」と「誰かの台詞」という対照です。
十代の頃はもちろん、大人になってからも、自分の答えを誰かの言葉で決めたくなることがあります。「こういう人になれば正しい」「この道を選べば安心」「あなたにはこれが向いている」。言ってくれる人に悪意はなくても、その言葉を借り続けているうちに、自分で選んだのか、選んでもらったのかが分からなくなることがありますね。
けれど「YELL」は、「ほんとうの自分」の正体を教えてくれません。性格も、将来の職業も、夢の中身も明かされないままです。私はそこがとても大切だと思っています。

もし本当の自分が、どこかに完成品として隠れているのなら、それを見つければ迷いは終わるはずです。でもこの曲の中では、迷いが消えたから道を選ぶのではありません。弱さを抱えた自分と向き合い、それでも一つずつ道を選んでいく。その先でようやく、「わたし」を生きるという言葉が出てきます。
自分とは、探し当てるものだけではなく、選びながら少しずつ引き受けていくものなのかもしれません。誰かの答えを捨てて、何も分からないまま一歩を出す。それは華やかな自己発見というより、かなり心細いことです。だからこそ、その場面に「YELL」が必要になるのでしょう。
サヨナラは、悲しくなくなったから言えるわけではない
この曲でもっとも知られているのは、「サヨナラ」を悲しみだけの言葉にしないところでしょう。でも私は、ここを「別れは悲しくない」と単純に受け取ると、「YELL」の痛みが少し薄れてしまう気がします。
曲の最初から、一人になる怖さは隠されていません。離れることがつらくなければ、そもそもこれほど強く背中を押し合う必要もないはずです。サヨナラが悲しくないのではなく、悲しいだけで終わらせないために、別の意味を持たせようとしているのではないでしょうか。

さらに興味深いのは、別れを告げるたびに強くなれる、と断言していないことです。そこには問いかけの揺れが残っています。人は別れを経験すれば自動的に成長するわけではないし、次の朝にはきれいに前を向けるとも限りません。その不確かさを残したまま、それでも道は分かれていきます。
やがて曲の中には、永遠ではないと知ったからこそ、一緒に笑った日や歌った日が深く残っていくという時間の感覚が現れます。失わないと思っているものは、案外ぼんやり過ごしてしまうものです。終わりがあると知った瞬間、何気なかった日々の輪郭が急に濃くなることがあります。
だから別れは、過ごした時間を否定する出来事ではありません。むしろ離れることによって、あの日々が自分の中にどれほど深く入っていたのかを知る。サヨナラは関係を切る言葉ではなく、同じ時間を生きていた仲間たちが、それぞれの時間へ移っていく境目なのでしょうね。
みんなで歌う曲なのに、最後は一人で飛び立つ
「YELL」は合唱曲として生まれました。教室や体育館、ホールで、多くの声が重なって歌われてきた曲です。それなのに、歌詞が向かっていく先には「独り」という言葉があります。
私は、この組み合わせが「YELL」という曲のいちばん美しいところの一つだと思います。みんなで同じ歌を歌っているのに、歌い終わったあとは一人ひとり別の道へ行く。声が重なることと、人生が分かれていくことが、同じ数分の中にあるんです。

もしこの曲が一人きりで立つことだけを求める歌なら、「僕ら」という言葉はこれほど必要ではなかったかもしれません。反対に、ずっと一緒にいようとする歌なら、「独り」で未来へ向かう必要もありません。「YELL」はそのどちらかを選ばず、一緒にいた時間があるから一人で行ける、という少し不思議なつながりを残しています。
誰かに支えてもらうことと、自分で生きることは反対ではないのですね。支えがあるから弱くなるのでも、自立したから誰も必要なくなるのでもありません。人の声を胸に持ったまま、自分の足で歩く。その距離感が、この曲の「独り」にはあるように感じます。
だから合唱で「YELL」を歌うとき、声がそろうほど別れの気配が強くなるのかもしれません。同じ旋律の中にいられる時間は、曲が終われば終わってしまう。それでも、一緒に歌った声まではなくならない。歌う行為そのものが、歌詞の中で描かれる別れを先に体験させているようでもあります。
「YELL」が課題曲として生まれた合唱の形を実際の譜面から見てみると、言葉だけを読んだときとはまた違うものが見えてきます。NHK出版では、「YELL」を含む2009年度から2023年度までの中学校課題曲をまとめた「NHK全国学校音楽コンクール課題曲集 90回記念 中学校 混声合唱」も刊行されています。
NHK全国学校音楽コンクール課題曲集 90回記念 中学校 混声合唱
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「YELL」が合唱曲として、どのように複数の声を重ねて作られているのかを譜面で確かめたい人に合う一冊です。歌詞だけでは見えにくい声の重なりを追ってみると、この曲の「みんなで歌いながら、それぞれの道へ向かう」という感触をもう一つの角度から味わえます。
声が届かなくなっても、胸の中にはYELLが残る
タイトルは「GOODBYE」でも「DREAM」でもなく、「YELL」です。夢へ向かうことも、別れることも大切なのに、最後に名前として残されたのは「声」でした。
この曲でのYELLは、遠くから大声で励ますことだけではないのでしょう。誰かの心から自分の心へ届き、離れたあとも持っていけるもの。目の前にいなくなっても、一緒に過ごした時間が、自分の決断を支える声に変わっていく。そんなものに近い気がします。

曲の終わりには未来がありますが、その未来がどんな場所なのかは描かれません。夢がかなった姿も、再会したあとの場面もありません。ただ、それぞれが選んだ道へ進んでいくところで歌は終わります。
最初は、自分がどこにいるのかさえ分からなかったはずでした。それが最後には、答えを全部持っているわけでもないまま、自分の道を選び、歩き出そうとしている。怖さが消えたから飛び立てたのではなく、怖さを抱えた自分のままで進むことを選んだのでしょう。
そう思うと、「サヨナラ」という言葉も少し違って聞こえます。相手を遠ざける言葉ではなく、「ここからはあなたの道を歩いてね」と手を離すための言葉。手を離すからこそ、声を送る必要があるのです。
もう一度「YELL」を聴くとき、私は明るい応援歌としてだけではなく、「僕ら」でいられた時間から「わたし」を生きる時間へ移っていく歌として聴いてみたくなります。誰かと離れる日には、きれいな覚悟なんてなくていいのかもしれません。少し震えたままでも、自分で選んだ空へ向かう。その背中に残る声こそが、この曲のYELLなのでしょうね。
もう一度、「YELL」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

