「マリーゴールド」を聴いていると、明るい夏の恋の歌なのに、どこか胸の奥が少しだけ締めつけられます。過去の夏を懐かしむ言葉があり、遠く離れてもつながっていたいという願いもある。だから、すでに終わった恋を振り返っている歌のように受け取る人がいても不思議ではありません。
けれど、あいみょんさん本人の言葉をたどると、この曲の景色は少し違って見えてきます。「マリーゴールド」は、別れてしまった二人を描いた歌というより、今も愛し合っている二人が、かつての夏を一緒に懐かしんでいる現在進行形のラブソングとして生まれた曲でした。私は、この「過去を振り返っているのに、恋は終わっていない」という時間の重なりに、この曲のいちばん美しい余白があるように感じます。
「マリーゴールド」は別れた二人の歌なのか
「マリーゴールド」は2018年8月8日に発売された、あいみょんさんの5枚目のシングルです。作詞・作曲はいずれもあいみょんさんで、のちに2019年発売のアルバム『瞬間的シックスセンス』にも収録されました。公式では、夏の風景と恋模様を重ねた楽曲として紹介されています。
発売日や収録曲などの基本情報は、ワーナーミュージック・ジャパン公式「マリーゴールド」ディスコグラフィーでも確認できます。
歌詞だけを読むと、二人の関係には少し迷う余地があります。過去の夏を懐かしむ場面があり、相手を恋しく思う気持ちがあり、離れていても心が同じであってほしいという願いもあるからです。こうした言葉だけを拾えば、別れた恋人を思い出しているようにも聞こえるでしょう。

ところが、あいみょんさんは音楽ナタリーのインタビューで、この曲について、愛し合っている二人が昔を懐かしんでいるような「現在進行形のラブソング」と説明しています。さらに「マリーゴールド」公式インタビューでは、聴く人によって二人の距離感が大きく変わる曲だとも話していました。
私は、この二つの発言を大切にしたいと思います。作者が示している基本の景色は、恋を失ったあとではなく、恋が続いている時間です。ただし、二人がどれくらい近くにいるのか、いつも一緒なのか、物理的な距離があるのかまでは決められていない。だから聴く人自身の記憶が入り込みやすく、幸せな歌なのに少し寂しくも聞こえるのでしょうね。
あいみょん 5thシングル『マリーゴールド』CD
この曲をもう一度じっくり聴くなら、表題曲だけでなくカップリングやInstrumentalまで収められたオリジナルシングルで、言葉と音の余韻を味わってみるのもいいですね。
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過去の夏を懐かしむことは、恋が終わったことを意味しない
この曲で印象的なのは、夏の恋がすでに懐かしいものとして振り返られていることです。普通なら、恋を懐かしむという言葉には、失恋や別れを想像したくなります。けれど、今も一緒にいる二人が、出会った頃や付き合い始めた頃を思い返すことだってありますよね。
長く続いた関係ほど、二人の間には「今」とは別の季節が積み重なっていきます。あの頃の相手の姿、風の匂い、その日に着ていたもの、何気なく交わした言葉。今も隣にいる人なのに、昔のその人はもう記憶の中にしかいません。私は「マリーゴールド」の懐かしさを、失ってしまった恋への追憶というより、続いている恋の中に生まれた思い出として読むと、とても自然に感じます。
しかも、その記憶は古びていません。過ぎた夏は過去になっているのに、相手への気持ちは現在までつながっている。時間が流れたから薄くなるのではなく、振り返ることでかえって、その人が大切だったことに気づいていくようです。
夏の記憶と恋が結びついた歌には、過去へ戻れない切なさを描くものもあります。たとえばサザンオールスターズ「真夏の果実」の考察では、目の前にいない相手を思い続ける時間を読みました。「マリーゴールド」にも夏への郷愁はありますが、こちらでは記憶が今の愛を失わせるのではなく、むしろ今の愛を確かめる方向へ働いているように思います。
なぜタイトルは「マリーゴールド」なのか
タイトルの花に、特別な花言葉が隠されているのではないかと考えたくなる曲です。マリーゴールドには色や文化によってさまざまな花言葉が紹介されるため、悲しみや嫉妬、変わらぬ愛などを歌詞と結びつけた解釈も見かけます。

けれど、ここは作者自身の発言を確認しておいた方がよさそうです。あいみょんさんは音楽ナタリーの「マリーゴールド」インタビューで、曲を書いた時点ではマリーゴールドにさまざまな花言葉があることを知らなかったと話しています。つまり、特定の花言葉を歌詞の裏側に仕込んだと考える根拠はありません。
曲の出発点になったのは、もっと視覚的なひらめきでした。麦わら帽子をかぶった相手の姿と、風に揺れるマリーゴールドが重なったところからサビが生まれ、そこから「風」と「切なさ」を連想して曲が広がっていったと語られています。
私は、この成り立ちを知るとタイトルがさらに好きになります。マリーゴールドは、恋の意味を説明する暗号ではなく、ある夏の日の相手を一瞬で記憶に焼きつける景色なのですね。花そのものを見て恋を考えたというより、大切な人の姿が花に見えた。その順序だからこそ、タイトルには辞書的な意味では届かない個人的な眩しさが残ります。
風が揺らしているのは、花だけではなく心
「マリーゴールド」では、風がとても大切な役割を持っています。曲の始まりから、外の風景と心の揺れが重なり、そこから相手への恋しさが浮かび上がります。作者自身も、最初に生まれた夏の情景から「風と切なさ」を連想して物語を広げたと話しています。

風は目に見えません。けれど花や髪や服が揺れることで、そこに風があると分かります。恋心も少し似ていますね。好きだという気持ちは形にならないのに、相手を見つめる時間や、離れたくないと思う瞬間、ふいに恋しくなる心の動きによって、その存在が見えてきます。
だからこの曲では、幸せが静止していません。二人は愛し合っているけれど、何の不安もないわけではない。心は風に揺らされ、本当の気持ちを全部さらけ出せるほど強くもない。それでも相手の存在を前にすると、先にあるものを暗く考えすぎずにいられる。その弱さと明るさが同時にあるから、きれいなだけの恋愛歌にはならないのだと思います。
「遠い場所」は、別れの証拠ではなく未来への不安にも聞こえる
この曲を失恋の歌のように感じさせる大きな理由の一つが、遠く離れていてもつながっていたいという願いでしょう。実際、そこだけを切り取れば、二人がすでに離れた場所で暮らしているようにも読めます。

ただ、歌詞はその距離が現在の事実なのか、これから起こるかもしれない未来なのかを説明していません。公式インタビューでも、二人の距離感は聴き手によって変わると語られています。そう考えると、「遠い場所」は別れを示す決定的な証拠ではなく、この先どんな距離が生まれても気持ちは同じであってほしいという願いとして受け取ることもできます。
恋がうまくいっているときほど、ふと失うことが怖くなる瞬間があります。今が幸せだからこそ、このまま続いてほしいと思う。近くにいるから安心しきるのではなく、いつか離れる日が来ても同じ気持ちでいてほしいと願う。その少し先回りした不安が、「いつまでも」という思いを強くしているように私には聞こえます。
ここがこの曲の面白いところです。不安があるのに、絶望には向かわない。相手を失う未来を想像して終わるのではなく、距離さえ越えてつながっていたいと願う。恋の弱さが、そのまま恋を続けようとする意志へ変わっています。
言葉だけでは足りないほどの愛が、二人の現在を支えている
二人の関係は、思い出の中だけで描かれているわけではありません。肌の近さや、一緒に歩く時間、相手を抱きしめる行為など、現在の二人の身体的な距離を感じさせる場面もあります。ここが、過去の恋を一人で振り返る歌とは大きく違うところでしょう。

しかも、愛情は単に「好き」という言葉だけでは収まりません。気持ちを言葉にしても、それだけでは足りないから、触れることや抱きしめることへ向かっていく。私はそこに、若い恋の勢いだけではなく、言葉にできないものまで相手に渡したいという切実さを感じます。
一方で、二人が何もかも分かり合っているとまでは描かれていません。少なくとも、歌の中には自分の本心を完全にはさらけ出せない弱さが残っています。それでも一緒にいられるし、同じ景色を歩ける。完全に分かり合うことより、分からない部分を残したままそばにいることの方が、この曲では大切なのかもしれませんね。
恋愛を描く歌では、愛が深いほど「分かり合える二人」として表現されることがあります。けれど現実の人間関係では、好きな人にさえ言えないことがあります。それでも相手を大切に思うことはできる。「マリーゴールド」は、そんな少し不完全な愛を明るい方へ連れていく歌なのだと私は感じます。
夏の記憶は、今の恋を過去にしないために残っている
「マリーゴールド」を別れの歌だと思って聴くと、夏の景色は失われた幸福の象徴に見えます。けれど、あいみょんさん自身が語ったように、愛し合う二人が昔を懐かしんでいる現在進行形の恋として聴き直すと、その景色の意味はずいぶん変わります。

過去を思い出すのは、今が終わったからではありません。今も続いているからこそ、「あの頃」を二人のものとして振り返ることができる。麦わら帽子と花が重なった一瞬は、失った人の面影ではなく、今も大切な人と自分の間に残り続ける、二人だけの夏の記憶なのでしょう。
そして、その幸福は決して強固なものとして描かれてはいません。心は揺れ、本心を全部言えない弱さがあり、いつか距離ができるかもしれない不安もある。それでも今、目の前にいる相手を抱きしめ、これからもつながっていたいと願っている。私は「マリーゴールド」を、過ぎ去った夏を懐かしみながら、今ここにある恋をもう一度選び直す歌として聴いています。
夏が終わっても、あの日の景色は消えません。むしろ季節が遠ざかるほど、大切だった瞬間は鮮やかになることがあります。次にこの曲を聴くときは、失われた恋ではなく、続いていく恋の中に残された一枚の夏の記憶として耳を傾けてみると、あの少し切ない明るさがまた違って聞こえてくるかもしれませんね。
もう一度、「マリーゴールド」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

