「Hero」と聞くと、誰かを守る強い人、困難の先頭に立つ特別な存在を思い浮かべるかもしれません。けれど安室奈美恵さんの「Hero」を聴いていると、そのイメージは少しずつほどけていきます。歌の中の私は君を励まし、自分が君のヒーローになると伝えながら、やがて君のことを自分のヒーローとも呼ぶからです。
支える人と、支えられる人。普通なら別々に見える二つの立場が、この曲ではきれいに分かれていません。私は、そこに「Hero」のいちばん大切なところがあるように感じます。強いから誰かを支えるのではなく、誰かに支えられてきたからこそ、今度は自分がその人を支えようとする。その力の往復を追っていくと、この曲は単なる応援歌よりずっとやさしい姿を見せてくれます。
「Hero」はアスリートだけに向けた歌ではない
「Hero」は2016年7月27日に発売され、NHKの2016年リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック放送テーマソングとして広く知られた楽曲です。作詞・作曲は今井了介さんとSUNNY BOYさん。発売時期や楽曲の位置づけは、エイベックスによる安室奈美恵さんの楽曲紹介でも確認できます。
テーマソング決定時、安室奈美恵さん自身も、応援の気持ちを込めて歌いたいという趣旨のコメントを寄せています。起用時の発表は、ORICON NEWSの当時の記事で確認できます。
オリンピック・パラリンピックのテーマソングと聞けば、まず思い浮かぶのは競技へ挑むアスリートでしょう。実際、この曲には前へ進むこと、遠い道のり、目指す場所、走り続けることといった、競技の風景とも重なりやすい言葉が並んでいます。けれど、歌詞の中には特定の競技名も、勝敗も、メダルも出てきません。
この広さは偶然ではなさそうです。2019年に「Hero」がJASRAC賞金賞を受賞した際、SUNNY BOYさんは、オリンピック・パラリンピックへ向けて作った曲でありながら、選手だけでなく聴いた一人ひとりもヒーローだと伝えたい思いからタイトルを付けたと説明しています。詳しくはJASRACの2019年受賞ページで読むことができます。
そう知ってから聴き直すと、「Hero」の風景はスタジアムの中だけに収まらなくなります。大きな舞台へ向かう人だけでなく、仕事や勉強を続ける人、誰かを支えている人、遠い目標へ少しずつ近づこうとしている人まで、この歌の中へ入っていけるのですね。
安室奈美恵「Hero」CD+DVD
この記事を読んだあとに「Hero」をもう一度聴き直したくなった方へ。シングルのCD+DVD盤なら、楽曲そのものに戻りながら、この記事で追ってきた「支える人」と「支えられる人」の関係を自分の耳でもう一度確かめられます。
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最初の「私」は、君を引っぱるのではなく見守っている
曲の冒頭で、私は君に前へ進むことを促します。ただし、その励まし方は意外なほど穏やかです。もっと強くなれ、変わらなければいけない、私について来ればいいとは言いません。これまでの自分のままで進んでいいのだと伝え、後ろを気にしなくてもいいという方向へ君の気持ちを向けています。
ここでのヒーローは、君の代わりに人生を決める人ではないのでしょう。先頭に立って道を切り開くというより、君自身が歩くことを信じて、その歩みを止めないようにそばにいる人です。助けることと、相手の人生へ介入することを同じにしていないところが、私はとても好きです。

応援歌には、ときに「もっと頑張ろう」という圧力が生まれることがあります。けれど「Hero」は、君を別の人へ変えようとはしません。今まで積み重ねてきた君を認めたうえで、そのまま先へ進めばいいと背中を支える。だから、この曲を聴いて励まされるときも、何かを無理に足さなければならない感じが少ないのかもしれませんね。
同じように、相手を強く作り替えるのではなく、今ここにいる自分を肯定する歌として読むなら、玉置浩二「田園」考察|頑張れではなく「それでいいんだ」と歌う理由にも通じるものがあります。「田園」ができない自分や焦る自分まで受け止めていくのに対し、「Hero」は自分らしさを失わず前へ進む人の隣に立つ。その違いを聴き比べるのも面白いところです。
強さの理由が、自分の中だけに置かれていない
「Hero」というタイトルから想像する強さは、ひとりで困難を乗り越える力かもしれません。ところが歌が進むと、私が強くなれた理由は、自分の才能や意志の強さだけではないことが見えてきます。大切な人が笑顔で支えてくれたことが、険しい道を越える力になっているのです。
私は、この部分があることで「Hero」がずいぶん人間らしい歌になっていると感じます。誰かのヒーローになろうとしている人自身も、最初から強かったわけではない。支えられた記憶を持ち、その記憶を力に変えながら進んでいます。

ヒーローという言葉には、弱さを見せない存在という印象もありますよね。けれどこの曲は、助けてもらったことを弱さとして扱っていません。むしろ、誰かから受け取ったものがあるから遠い場所を目指せるのだと描いています。支えられた経験そのものが、次の強さの理由になるのです。
そして、ここで一つ気になるのは、支えてくれた「大切な人」と、歌の中で呼びかけられている君が完全に同一人物なのかどうかは明示されていないことです。同じ人とも読めますし、別の存在が重なっている可能性もあります。歌詞が関係を限定しないからこそ、家族、友人、仲間、応援してくれた人など、聴き手それぞれの記憶が入り込む余地が残っています。
「I’ll be your hero」から「And you are my hero」へ
この曲で私がいちばん立ち止まりたくなるのは、繰り返される英語の言葉が途中で変わるところです。最初に響くのは「I’ll be your hero」。私は君を支える側として、自分が君のヒーローになると約束します。
ところが、そのあとに「And you are my hero」という言葉が加わります。ここで関係が一度ひっくり返るのですね。私が君を励ましていたはずなのに、君もまた私にとってのヒーローだったことが明かされます。

この変化を読むと、「Hero」は一人の強い人物を称える歌ではなくなります。私が君へ力を渡し、君から受け取ったものが私を強くする。どちらかだけが救う側に固定されるのではなく、二人の間を力が行き来しているように聞こえるのです。
人は、いつも同じ側にはいられません。昨日は誰かに励まされ、今日は別の誰かの背中を押すこともあるでしょう。自分では何もできないと感じた日に、何気ない言葉で誰かを支えていたと後から知ることだってあります。「Hero」の中のヒーローは、完成された強者ではなく、そうやって役割を渡し合う人なのかもしれません。
一人の「君」から「みんな」へ、支えの輪が広がっていく
前半では、私の言葉は一人の君へ向けられています。ところが中盤になると、遠くから届く多くの人の思いが、自分の背中を押してきたという感覚へ広がっていきます。ここで歌の世界は、私と君だけの関係から、もっと大きなつながりへ開いていきます。
リオデジャネイロオリンピック・パラリンピックのテーマソングという背景を重ねると、この広がりはとても自然です。競技をする人と応援する人は離れた場所にいても、声や思いによってつながることができます。そして応援される選手の姿が、今度は見る人へ勇気を返すこともある。誰が与える側で、誰が受け取る側なのかは、一方向には決まりません。

ただ、この構造はスポーツだけのものではないでしょう。家族を支えているつもりが、実は自分の方が笑顔に救われていたり、友人を励ました言葉によって自分自身も前を向けたりすることがあります。人と人の間には、こうした目に見えない往復がたくさんありますよね。
SUNNY BOYさんが「一人ひとり」をヒーローとして捉えていたことを踏まえると、この歌の「みんな」は単なる大勢の観客ではなく、誰かを支え、誰かに支えられている人たちの集まりにも見えてきます。一人の特別な英雄を探す歌ではなく、日常のあちこちにある小さな支えを見つけ直す歌でもあるのでしょう。
「走る」という言葉がスポーツを越えて聞こえる理由
終盤では、君のためにどこまでも走るという意思と、遠い道の先にある夢が重なっていきます。オリンピック・パラリンピックのために作られた曲である以上、「走る」という言葉に競技のイメージを感じるのは自然です。それでも、曲全体を通して聴くと、ここでの走ることは陸上競技だけには限定されていないように思います。
前半から描かれているのは、振り返らずに進むこと、困難を越えること、約束した場所を目指すことです。その流れの中に置かれるため、「走る」は一つの動作であると同時に、目標をあきらめず進み続ける姿にも重なります。だから、スポーツとは関係のない日常を生きている私たちにも、自分の時間へ置き換えて聞くことができるのでしょう。

しかも、その道は一人きりではありません。君のために走る私がいて、私を支えてきた君や多くの人がいる。遠い場所へ向かう歌なのに、不思議と孤独な疾走には聞こえないのです。むしろ、誰かから受け取った力を胸に持ったまま進むからこそ、長い道を走り続けられる。私はそこに、この曲らしい強さを感じます。
君が誰なのかを決めないから、「Hero」は自分の歌になる
歌詞では、君の性別も年齢も、私との具体的な関係も説明されません。恋人なのか、家族なのか、友人なのか、応援してくれる人なのか。それを確定できる材料はなく、無理に一つへ絞る必要もないでしょう。
ここを曖昧さではなく、曲の大切な余白として受け取りたいと思います。もし君が特定の人物像に固定されていたら、聴き手はその物語を外側から眺めることになったかもしれません。けれど「Hero」では、君の場所が空いているため、自分にとって大切な人をそこへ重ねることができます。

同時に、自分自身を君の側へ置くこともできます。誰かに「そのまま進んでいい」と言ってもらいたい日に聴けば、私から自分へ向けられた応援として聞こえるでしょう。反対に、大切な人を支えたい日に聴けば、自分が私の側に立っているようにも感じられます。
その日の自分によって、曲の中で立つ場所が変わるのですね。支えてほしい日と、支えたい日。どちらの自分もこの曲から締め出されません。むしろ両方を経験するからこそ、「私」と「君」が同時にヒーローであることが実感として近づいてくるのだと思います。
ヒーローとは、支えられた力を誰かへ返していく人
「Hero」を最初からたどり直すと、私の強さは一人で完成したものではありませんでした。大切な人に支えられ、多くの思いに背中を押され、その力を受け取った私が、今度は君のそばにいると伝えます。そして君もまた、私にとってのヒーローになります。
だから、この曲が描くヒーローは、世界を救う特別な人物というより、誰かから受け取った力を、別の誰かへ返していける人なのではないでしょうか。強さを自分一人のものにせず、人との間をめぐらせていく。その姿なら、確かにアスリートだけでなく、一人ひとりの中に見つけることができます。
私はこの曲を、単に「頑張る人を励ます歌」とだけ呼ぶのは少しもったいない気がします。頑張る人の背後には支えてきた人がいて、その支えられた人の姿がまた誰かを励ます。「Hero」は、その連鎖そのものを歌っているように聞こえるからです。
もう一度聴くときは、誰がヒーローなのかを一人に決めずに耳を澄ませてみてください。最初は君へ差し出されていた言葉が、途中から私へ返り、やがてもっと多くの人へ広がっていく。その往復に気づいたとき、「Hero」というタイトルは、以前より少し身近な言葉に聞こえてくるのではないでしょうか。
もう一度、「Hero」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

