恋が終わる瞬間には、はっきりした別れの言葉があるとは限りません。まだ隣にいるのに、以前のようには笑えない。触れ合っているのに、その手から親しさより慣れを感じてしまう。BOØWYの「わがままジュリエット」には、そんな恋が現在から思い出へ変わっていく途中の時間が流れているように感じます。
この曲で私がとくに気になるのは、二人が完全に離れてしまった場面ではないことです。主人公は相手への未練を残し、相手の仕草にも心を揺らされている。
それなのに、楽しかったはずの笑い声は、もう目の前の出来事ではなく過去へ向かい始めます。この近さと遠さが同時に存在しているところに、「わがままジュリエット」の切なさがあるのではないでしょうか。
「わがままジュリエット」は、別れより「恋が思い出になる途中」を描いている
「わがままジュリエット」は1986年2月1日にシングルとして発売され、同年3月1日発売のBOØWYのアルバム『JUST A HERO』にも収録されています。作詞・作曲は氷室京介さんです。発売時期については、BOØWY HUNTの1986年ヒストリーでも確認できます。

けれど、この曲を考えるとき、基本情報以上に大切なのは、歌詞の中で二人の関係がどの地点にいるのかでしょう。すでに完全に別れた二人を振り返っているとも言い切れませんし、幸せな恋人同士の時間を描いているようにも見えません。関係はまだ残っているのに、その内側では何かが少しずつ失われています。
今回確認した範囲では、氷室さん本人がこの歌詞の物語や「ジュリエット」が誰を指すのかを明確に説明した一次資料は確認できませんでした。ですから、特定の実話やモデルへ結びつけるのではなく、ここでは歌詞に現れる表情、触れ合い、夜、雨、そして時間の変化から二人を見ていきます。
アルバムについては、ユニバーサル ミュージック公式『JUST A HERO』でも「わがままジュリエット」が収録曲として紹介されています。単独の一曲としてだけではなく、アルバムの流れの中で聴き直してみると、この曲の空気をまた違った角度から味わえるかもしれませんね。
BOØWY『JUST A HERO』(Blu-spec CD)
「わがままジュリエット」をもう一度じっくり聴くなら、収録アルバム『JUST A HERO』から。考察のあとに曲へ戻り、アルバム全体の流れの中で聴き直したい方におすすめです。
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泣いているのに笑う――最初から二人の感情はひとつになっていない
冒頭の「泣き顔でスマイル」という組み合わせには、すでに小さな矛盾があります。悲しければ泣き、楽しければ笑うという素直な感情ではなく、泣きたい気持ちと笑おうとする表情が同時に存在しているのですね。

私は、この出だしだけでも、二人の恋がもう無邪気な場所にはないことが伝わってくるように思います。本心と表情が一致しないのは、何かを隠しているからかもしれませんし、傷ついていても平気なふりをしなければならない関係になっているからかもしれません。理由までは歌詞から決められませんが、少なくとも心のままに振る舞える二人ではなさそうです。
さらに冒頭では、輝きや踊ること、本来なら明るさを感じさせるものにも、疲れや雨の気配が重ねられています。華やかな言葉を置きながら、その一つひとつから楽しさを少しずつ抜いていくような書き方です。だからこの曲は、悲しい言葉だけで悲しさを作っているのではないのでしょう。
明るく見えるものが、どこかうまく噛み合わない。そのずれが最初から続いているからこそ、「わがまま」という呼び方にも、単純な怒りだけではない複雑な響きが生まれているように感じます。
愛も夢も軽くなったとき、触れ合いは「馴れ合い」へ近づいていく
歌の中盤では、二人の関係がさらに冷えていく様子が見えてきます。夜を一緒に過ごしているような気配はあるのに、そこには熱よりも退屈さや投げやりな感覚が漂っています。近くにいることが、そのまま心の近さにはなっていないのです。
ここで印象的なのは、愛や夢が難しいものとして描かれるのではなく、むしろ簡単になりすぎていることです。大切に守りたいものだったはずなのに、いつの間にか扱いが軽くなり、何かを求めても空回りしてしまう。私は、この感覚に長く続いた関係ならではの寂しさを感じます。
そして、二人の指先の触れ合いにも、新鮮な親密さではなく「慣れ」が入り込んでいます。触れられる距離にはいる。それでも、その触れ合いだけでは以前の二人へ戻れない。恋愛では、距離が近いほど心も近いとは限らないのだと、この場面は静かに見せているようです。

だからといって、主人公が相手をもう愛していないわけでもありません。離れてしまうことを悲しみ、冷たい仕草にも傷ついている。ここが少し苦しいところですね。気持ちがなくなったから別れるのではなく、気持ちが残っているのに、関係の形だけが先に壊れ始めているように見えるのです。
金曜の夜、笑い声は現在から過去へ移っていく
この曲の時間を大きく動かすのが、金曜の夜に聞こえる笑い声です。本来なら週末の始まりであり、二人が楽しい時間を過ごしていても不思議ではありません。ところが、その笑い声を主人公は、今この瞬間の幸福として受け取っていません。

前半では、笑い声が思い出へ「変わる」と表現され、後半では「染まる」へと動詞が変化します。ほんのわずかな違いですが、私はここを聞き流したくないなと思います。
「変わる」には現在から過去へ移る瞬間があり、「染まる」には、気づかないうちに少しずつ色が広がっていくような感触があるからです。
つまり二人の時間は、別れたあとで思い出されているだけではなく、まだ続いている最中からすでに思い出になり始めているとも読めます。一緒に笑っているはずなのに、主人公の心だけは、その声を過去のものとして聞いてしまう。こんなに寂しい時間のずれもありませんね。
恋の終わりというと、最後に会った日や別れを告げた瞬間を思い浮かべがちです。けれど実際には、「あの頃みたいには戻れない」と気づいたときに、恋はもう思い出へ向かい始めていることがあります。この曲が捉えているのは、まさにその境目なのではないでしょうか。
過去を抱えながら未来へ向かおうとする恋を描いた曲としては、大滝詠一「幸せな結末」の考察にも時間の変化が印象的に現れます。
ただ、「幸せな結末」が過去から未来へ視線を移していくのに対し、「わがままジュリエット」では現在そのものが過去へ吸い込まれていくようです。同じ「思い出」でも、時間の向きはずいぶん違って聞こえます。
夜と雨が重なるほど、二人の世界から輪郭が消えていく
「わがままジュリエット」には、夜や雨を思わせる言葉が繰り返し現れます。ただ、雨が降っているから悲しいという単純な象徴として読むだけでは、この曲の空気を少し取りこぼしてしまう気がします。
この歌の夜には、はっきりした出来事があまり起こりません。主人公と相手が大きな喧嘩をするわけでも、別れを告げるわけでもない。ただ漂い、触れ合い、相手の仕草を見つめながら、関係だけがゆっくり錆びていきます。雨もまた、何かを劇的に変えるものというより、そんな曖昧な夜を長引かせるものとして聞こえてきます。

終盤に向かうにつれて、夢想、投げやりな感情、裏切られたような雨の日といった断片が重なり、物語はむしろ輪郭を失っていきます。何が原因で二人がこうなったのかを説明するのではなく、関係が崩れていくときに心へ浮かぶものを次々に置いているようです。
だからこそ、聴く人によって思い浮かべる二人の過去も違うのでしょう。大きな裏切りがあったと考えることもできますし、長く一緒にいるうちに気持ちがすれ違っただけなのかもしれません。歌詞がそこを決めていないこと自体が、この曲の余白になっています。
なぜ相手は「わがままジュリエット」と呼ばれるのか
タイトルにある「ジュリエット」は、もちろんシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を思い起こさせる名前です。ただし、氷室さんが作品のジュリエットを直接モデルにしたと確認できる資料は、今回の調査では見つけられませんでした。ですから、ここから先はタイトルと言葉の響きから考えられる一つの読みです。
「ジュリエット」という名前には、恋に生きる人、悲劇的な恋の中心にいる人という文化的なイメージがあります。そこへ「わがまま」という、とても日常的で少し突き放した言葉がつく。壮大な恋物語のヒロインのような名前と、恋人同士の苛立ちから出てきそうな言葉が並んでいるところが面白いですね。

ただ、主人公は相手だけを責めているのでしょうか。歌詞を追うと、自分の愛し方が相手を悲しませる可能性にも触れていますし、離れることを怖がってもいます。そう考えると「わがまま」は、相手を一方的に悪者にするための言葉というより、うまくいかなくなった恋を前にした愛情と苛立ちの入り混じった呼び名のようにも聞こえます。
本当に嫌いになった相手なら、これほど相手の表情や仕草に心を動かされるでしょうか。冷たくされて腹を立てながら、それでも離れたくはない。
主人公自身もまた、矛盾した気持ちの中にいます。もしかすると「わがまま」という言葉には、相手への不満だけでなく、終わりそうな恋をまだ手放したくない主人公自身の身勝手さまで、薄く映り込んでいるのかもしれません。
この二人は、もう別れているのか
歌詞だけを見る限り、二人がすでに正式に別れていると断定することはできません。むしろ、まだ互いの気配が届く距離にいて、触れ合いや笑い声も残っています。だから私は、この曲を「別れた恋人を懐かしむ歌」とだけ読むのは少し早いように思います。
一方で、関係が以前のままでないこともはっきりしています。会えば満たされるわけではなく、触れても距離は消えず、笑っている時間さえ思い出へ変わっていく。形式として恋が続いているかどうかより、二人の心の中ではすでに「終わり」が始まっているのではないでしょうか。
恋には、付き合い始めた日や別れた日のように名前を付けられる瞬間があります。でも、その間には名前の付かない時間もあります。
まだ好きなのに疲れている、離れたくないのに一緒にいても寂しい、以前のようには戻れないと分かっているのに決定的な言葉は口にできない。「わがままジュリエット」が残しているのは、そんな中間地点なのだと私は感じます。
「わがままジュリエット」が残す、終わりきれない恋の時間
この曲には、二人の決定的な別れも、その後も描かれていません。だから聴き終わっても、恋がきれいに過去形にはならないのでしょう。主人公は相手に苛立ちながらまだ求めていて、相手との笑い声を聞きながら、それが失われていくことにも気づいています。
私は「わがままジュリエット」を、失恋が終わったあとの歌というより、好きという気持ちを残したまま、恋だけが思い出へ変わっていく時間を描いた歌として聴きたいと思います。泣くことと笑うこと、近くにいることと離れていくこと、愛していることと疲れていること。その反対の感情が、どちらか一方に整理されないまま共存しているからです。

次に聴くときは、二人がいつ別れたのかではなく、笑い声がいつから「今」ではなくなったのかを追ってみてください。そうすると、華やかで洒落た言葉の奥から、終わりを認めきれない二人の静かな時間が、少し違って聞こえてくるかもしれませんね。
もう一度、「わがままジュリエット」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

