明るい空を見上げながら聴いていた歌なのに、あらためて歌詞を読むと、ふと胸がざわつくことがあります。スピッツの「空も飛べるはず」も、そんな一曲ではないでしょうか。伸びやかなメロディーからは青春のまぶしさが伝わるのに、そこにいる僕は、初めから晴れやかな気持ちで空を見上げていたわけではないようです。
神様の影に怯え、似合わないナイフを隠す僕。その姿に、思春期のころの少し危うい強がりを重ねると、この歌の「怖さ」はまた違ったものに見えてきます。子どものままではいたくないけれど、大人になるにはまだ心細い。そんな僕が君と出会い、世界の見え方を少しずつ変えていく物語として、この曲を読んでみたいと思います。
「神様の影」を恐れた、背伸びしたい年頃
大人には何でもないことが、子どものころにはひどく大きく感じられるものです。ほんの小さないたずらをして、誰にも見つかっていないのに落ち着かなかったり、少し背伸びをした言葉を口にして、あとで一人きりになってから恥ずかしくなったり。思い返せば笑ってしまうような出来事でも、そのときには世界の全部が自分を見ているように思えたのでしょう。
歌の初めに置かれた「神様の影」という言葉にも、そんな後ろめたさが漂っています。何か大きな罪を犯したというより、悪いと知りながら少しだけ境界を越えてみたい気持ち。大人に近づいているつもりなのに、見つかることを怖がっているところには、まだ幼さが残っています。
熱っぽい気持ちを持て余している僕は、自分でもその正体をうまく説明できないのかもしれません。何かを変えたいのに、何を変えればいいのか分からない。そうした落ち着かなさは、思春期から大人へ移り変わるころの心に、よく似ている気がします。

似合わないナイフに隠した、本当の僕
その僕が隠しているのは、ナイフです。強さや危うさを思わせるものですが、ここで心に残るのは、ナイフを持つ僕自身が、それを自分に似合わないと感じていること。大人びたものに憧れ、少し怖そうに振る舞ってみても、どこかぎこちない姿が浮かびます。
自分の弱さを知られたくないときほど、人は強いふりをしてしまうことがあります。平気な顔で歩いたあと、誰もいないところでほっと息をつく。友達の前では何でもないように笑っていたのに、帰り道で急に不安になる。僕にも、そんな二つの顔があったのではないでしょうか。
けれど、この歌はその不器用さを責めません。僕を慰めるものとして現れるのは、説教でも立派な励ましでもなく、おどけた歌です。誰が歌ったのかまでは決められませんが、ふざけた調子の歌に思わず笑ってしまい、肩に入っていた力が抜けるような場面を想像します。背伸びしなくても、怖いものがあっても、そのままで笑える時間があったのでしょう。
大人になりたかった僕に本当に必要だったのは、強そうに見せるための道具ではなく、自分を飾らずにいられるひとときだったのかもしれません。そう思うと、隠されたナイフより、そのあとに残る歌の温かさのほうが、ずっと大きく感じられます。

色褪せて、ひび割れても、光を探して
どれほど若くても、心に傷がひとつもないわけではありません。言われた言葉がいつまでも消えなかったり、頑張ったつもりなのに思いどおりにならなかったりする。そんな経験をするうちに、以前は輝いて見えたものが、少し違う色に見えてくることがあります。
この歌には、色が褪せ、ひびが入っていくイメージが現れます。何も知らずに笑っていたころから、少しずつ現実を知っていく時間のようにも感じられるでしょう。子どものころに信じていたことが、すべてそのとおりになるわけではない。それを知ったとき、人は自分が以前とは違う場所に立っていることに気づくのかもしれません。
それでも僕は、輝く方法を探そうとしています。ここには、自分が傷ついたことをなかったことにするのでも、誰かに守ってもらうのをただ待つのでもない、かすかな意志があります。ひび割れたところから光がこぼれるように、うまくいかなかった日々も、自分の一部として抱えていけたらいい。その願いはまだ頼りなくても、僕の目は少しずつ外の世界へ向き始めているようです。

君と出会って、世界が違って見えた
そんな僕の前に、君が現れます。歌の中でこの出会いは奇跡のように受け止められていますが、何か特別な事件が起きたと考える必要はないように思います。いつもの道で言葉を交わしたり、何でもないことで一緒に笑ったりする。その小さな時間が、いつのまにか僕の心を変えていったのかもしれません。
好きな人ができると、見慣れた景色まで違って見えることがあります。それまで気に留めなかった空の色を覚えていたり、帰り道が少し短く感じられたりする。相手が自分の悩みを解決してくれたわけではなくても、明日また会えると思うだけで、今日を終える気持ちが変わることもあるでしょう。
何より大きいのは、君の前では強い人間を演じなくてもいいと思えたことではないでしょうか。少し格好悪い冗談も、失敗した話も、気負わずに口にできる。僕が本当に求めていたのは、完璧な自分になれる場所ではなく、未完成の自分でいても笑い合える場所だったように感じます。
君は恋人なのか、友人なのか。歌詞だけで、その関係をひとつに決めることはできません。ただ、二人の距離をどう受け取るにしても、君と出会ったことで僕が感じた自由は本物なのでしょう。冒頭の怖さが完全になくなったのではなく、怖いものがある世界を、君と一緒に歩いてみたいと思えるようになった。その変化が、この曲を明るいだけの青春の歌にしていない気がします。

満月の夜に、強がりを手放して
誰かと近づくほど、隠していた気持ちを見せなければならない瞬間がやってくることがあります。平気だと言いながら、本当は寂しかった。何も望んでいないふりをして、心の奥では誰かに気づいてほしかった。そんな嘘は、相手を騙すためだけではなく、自分の弱いところを守るためについてしまうものなのかもしれません。
歌に現れる見えすいた嘘にも、少し幼い強がりを感じます。自分でも無理があると分かっているのに、簡単には引っ込められなかった言葉。けれど僕は、満月の夜にそれを破ります。夜空に大きく浮かぶ月を思うと、誰にも言えなかった気持ちを、ようやく自分で認めた静かな時間のように感じられます。
ここで僕を変えるものとして現れるのが、君の髪の香りです。神様の影や大きな空とは違って、香りはとても身近で、そばにいるときにしか感じられないもの。遠い未来が急に確かになったわけではないけれど、今この瞬間に君がいることは分かる。そのぬくもりが、僕を長い眠りから起こすように、現実の世界へ連れ戻したのかもしれません。
思春期の強がりは、ある日突然消えるものではないでしょう。それでも、本音をひとつ認めるたびに、人は少しずつ変わっていけるのだと思います。僕は大人らしい人間になったから嘘を手放したのではなく、君といる時間の中で、もう嘘に頼らなくてもいいと思えたのでしょう。

ゴミできらめく世界で、君と笑っていたい
君と出会い、嘘を手放しても、世界そのものが優しくなるわけではありません。いいことばかりが待っているわけでも、誰もが二人を祝福してくれるわけでもないでしょう。歌の後半には、美しい光と、決して美しいとは言えないものが同じ場所に置かれています。
私には、そこがこの曲の忘れがたいところに思えます。雨上がりの道に落ちた包み紙が夕日を受けてきらめくように、現実の世界は、きれいなものだけでできているわけではありません。それでも、美しい瞬間が確かにある。大人へ向かうということは、そんな矛盾を知っていくことでもあるのかもしれません。
二人が世界に受け入れられるかどうかは、分かりません。自分の気持ちを理解してもらえない日もあれば、努力してもどうにもならないこともあるでしょう。けれど僕が願うのは、誰からも認められることではなく、君がそばで笑っていてくれることです。強い人になって世界を変えるのではなく、思いどおりにならない世界の中で、一緒に笑える人を大切にする。その願いには、冒頭でナイフを隠していた僕とは違う、静かな強さが宿っています。
傷のない毎日を望むより、傷ついた日にも誰かの笑顔を思い出せること。そんな小さな幸せを知った僕には、以前よりも空が広く見えているのではないでしょうか。

「空も飛べるはず」と言い切らない、未来への希望
この曲の題名は、空を飛べると断言する言葉ではありません。「飛べるはず」という、まだ確かめていない未来への願いを残しています。そこが、私はとても好きです。大人へ近づいている僕は、自分に何ができるのかをまだ知らない。それでも、君に出会う前には想像できなかったことを、今ならできそうな気がしているのでしょう。
子どものころには、何でもできると思っていた日があったかもしれません。ところが少し成長すると、できないことや怖いものが増えていく。自分の力の小ささを知り、誰かと比べて落ち込み、無邪気に夢を口にするのが恥ずかしくなることもあります。僕も、そんな時間を通ってきたのではないでしょうか。
だから、ここで空を見上げる僕の姿には、幼いころと同じ無邪気さだけでなく、不安を知ったあとの希望があります。飛べると証明できたから前を向くのではありません。飛べるかもしれないと信じてみたくなったから、もう一度空を見上げるのです。
スピッツの「空も飛べるはず」は、1994年4月25日に発売されたシングルで、作詞・作曲は草野正宗さん。1996年にはドラマ『白線流し』の主題歌にも起用され、青春の記憶と結びつけて親しまれてきました。時代を越えてこの歌が響くのは、未来への自信に満ちた人だけでなく、まだ迷っている人にも、空を見上げる場所を残してくれるからかもしれません。発売と主題歌起用についてはスピッツ公式の年表でも確認できます。
同じスピッツの「チェリー」の歌詞考察では、過ぎた恋の記憶を抱えながら明日へ進む気持ちを読みました。また、「ロビンソン」の歌詞考察にも、君との記憶が景色を広げていく感覚があります。けれど、この曲の僕が見上げる空は、それまでの強がりを手放したばかりの、まだ初々しい空のように感じられます。

神様の影を怖がっていたころから、空はずっとそこにあったのでしょう。違うのは、空そのものではなく、そこを見上げる僕の心。似合わないものを身につけなくてもいいと知り、傷ついた自分にも光が残っていると知り、君が笑ってくれることをうれしいと思えた。そんな時間をひとつずつ重ねて、僕は少しだけ大人になったのかもしれません。
飛べるかどうかは、まだ分かりません。それでも、風が吹くたびに顔を上げ、青い空の向こうを想像することはできる。君と出会ってからの僕には、その何気ない瞬間さえ、かけがえのない奇跡に思えるのです。
もう一度、「空も飛べるはず」を聴いてみる
ここまで物語をたどったあとで、もう一度この曲を聴いてみると、最初に聴いたときとは違う言葉や感情が見えてくるかもしれません。

